旅行+生活情報+ドイツ語と、ちょっと言いたい今日のドイツ
カテゴリー「旅行記 フランス」の記事一覧
- 2025.01.22 [PR]
- 2011.06.21 ノルマンディー上陸作戦のパラシュート部隊の町
- 2011.06.18 ノルマンディー上陸作戦を記憶するビーチ No.3
- 2011.06.15 ノルマンディー上陸作戦を記憶するビーチ No.2
- 2011.06.14 ノルマンディー上陸作戦を記憶するビーチ No.1
- 2011.06.08 ノルマンディー海岸へは干潮の時に行け
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ノルマンディー上陸作戦のメインは文字通り海外への上陸ですが、上陸直前に落下傘部隊が海岸の内陸部に降下し、続いて船と飛行機が海岸のドイツ軍に対して空と海からの砲撃を加えました。
後方からドイツ軍を襲撃する使命を負ったアメリカ軍とイギリス軍のパラシュート部隊は、真っ暗な夜の空に次々にパラシュートの華を咲かせ、ドイツ軍が占領する地域の真っただ中に降下していったのでした。
降下を待つ兵士たち 1942年 Wikipediaより
オランダに降下する落下傘部隊 1944年 Wikipediaより
アメリカ軍のパラシュート部隊は有名な映画「史上最大の作戦」にも出てきますが、この作戦で世界的に有名になった兵士が一人います。
その名はジョン・スティール二等兵。
ユタビーチに上陸するアメリカ軍をドイツ軍の背後から援護するために、Sainte-Mère-Église(サン・メール・エグリーズ)とその周辺地域に落下傘部隊が降下しましたが、このとき彼のパラシュートが町の教会の塔に引っかかってしまい、にっちもさっちも行かなくなってしまったのが、彼が有名になったきっかけです。
彼に気がついたドイツ軍兵士に足を打たれましたが、とっさに死んだまねをしたためにそれ以上の狙撃を受けず、死を免れました。
戦闘があった2時間、そのまま死んだふりをしていたそうです。
サン・メール・エグリーズの教会。矢印のところにひっかかり、動けなくなった
この格好で2時間死んだふりをしていた
この夜は空襲のためにいくつかの家が燃えていて、空から降下してくるパラシュート部隊がドイツ軍にはっきり見えてしまい、狙い撃ちされる結果となりました。
家の屋根や旗のマストなどに引っかかってしまった兵士は、パラシュートから自分の体を外す暇もなく、次々と息絶えていく地獄絵だったようです。
そんな中、ジョン・スティール氏は死んだふりをしていたために生き残り、後でドイツ軍の捕虜となりましたが、脱走して再びアメリカ軍に合流。
この地を去った後も、他の戦闘地へ送られた彼はいつも生還し、32年後に57歳で他界しました。
まさに、強運の持ち主です。
当然ここの博物館は、上陸作戦時にこの周辺に舞い降りた、空挺部隊「Airborne」の博物館です。
空挺(くうてい)とは、飛行機から兵士が落下傘(パラシュート)で降下すること。
つまり、落下傘部隊のことになります。
サン・メール・エグリーズのAirborne museum 敷地内。対空砲や戦車が見える
パラシュート部隊を運んだ輸送機、C-47が展示してある
C-47は大きすぎるため、まず飛行機をここに運んできてから、テントが上に作られた
もう一つの展示場は、パラシュートを意図した建物
パラシュート型展示場の内部。落下傘部隊とともに、地面に強制着陸したグライダー
展示品の中には当時の写真や遺品などもたくさんあります。
この作戦で命を落とした兵士たちの記録もあり、今自分がいるところが67年前には戦地だったことを痛感します。
墜落したC-47と乗っていた兵士
戦死したアメリカ兵の遺品
展示館から外に出ると、対空砲が展示してあります。
さびもなくきれいですけど、これは実際に使われたものなんでしょうね。
恐らく当時使用されていただろう対空砲
子供たちに人気の対空砲。平和な風景です。
エアボーン博物館は入館料7ユーロ(大人)
軍人であれば、国籍不問で無料になります。
そしてもちろん、第二次世界大戦に軍役についていた元兵士も無料です。
子供料金や開館時間などは下の公式サイトで確認してください。
Airborne Museum
博物館の案内ビデオ
場所は下の地図で確認できます。
Google map は便利ですね~
最後を飾るのは、アメリカ軍のエアボーンのビデオです。
あちこちに出ていたビデオを一つにまとめたもので、演習時と実戦時がごちゃまぜになっています。
どれが演習でどれが実戦か、画像の違いで分かるかも。
最後に赤外線カメラでのビデオが出てきます。
ということは、実戦時に撮影されたもの。
外に飛び出していった兵士たちは、そのあと無事だったんでしょうか・・・
後方からドイツ軍を襲撃する使命を負ったアメリカ軍とイギリス軍のパラシュート部隊は、真っ暗な夜の空に次々にパラシュートの華を咲かせ、ドイツ軍が占領する地域の真っただ中に降下していったのでした。
降下を待つ兵士たち 1942年 Wikipediaより
オランダに降下する落下傘部隊 1944年 Wikipediaより
アメリカ軍のパラシュート部隊は有名な映画「史上最大の作戦」にも出てきますが、この作戦で世界的に有名になった兵士が一人います。
その名はジョン・スティール二等兵。
ユタビーチに上陸するアメリカ軍をドイツ軍の背後から援護するために、Sainte-Mère-Église(サン・メール・エグリーズ)とその周辺地域に落下傘部隊が降下しましたが、このとき彼のパラシュートが町の教会の塔に引っかかってしまい、にっちもさっちも行かなくなってしまったのが、彼が有名になったきっかけです。
彼に気がついたドイツ軍兵士に足を打たれましたが、とっさに死んだまねをしたためにそれ以上の狙撃を受けず、死を免れました。
戦闘があった2時間、そのまま死んだふりをしていたそうです。
サン・メール・エグリーズの教会。矢印のところにひっかかり、動けなくなった
この格好で2時間死んだふりをしていた
この夜は空襲のためにいくつかの家が燃えていて、空から降下してくるパラシュート部隊がドイツ軍にはっきり見えてしまい、狙い撃ちされる結果となりました。
家の屋根や旗のマストなどに引っかかってしまった兵士は、パラシュートから自分の体を外す暇もなく、次々と息絶えていく地獄絵だったようです。
そんな中、ジョン・スティール氏は死んだふりをしていたために生き残り、後でドイツ軍の捕虜となりましたが、脱走して再びアメリカ軍に合流。
この地を去った後も、他の戦闘地へ送られた彼はいつも生還し、32年後に57歳で他界しました。
まさに、強運の持ち主です。
当然ここの博物館は、上陸作戦時にこの周辺に舞い降りた、空挺部隊「Airborne」の博物館です。
空挺(くうてい)とは、飛行機から兵士が落下傘(パラシュート)で降下すること。
つまり、落下傘部隊のことになります。
サン・メール・エグリーズのAirborne museum 敷地内。対空砲や戦車が見える
パラシュート部隊を運んだ輸送機、C-47が展示してある
C-47は大きすぎるため、まず飛行機をここに運んできてから、テントが上に作られた
もう一つの展示場は、パラシュートを意図した建物
パラシュート型展示場の内部。落下傘部隊とともに、地面に強制着陸したグライダー
展示品の中には当時の写真や遺品などもたくさんあります。
この作戦で命を落とした兵士たちの記録もあり、今自分がいるところが67年前には戦地だったことを痛感します。
墜落したC-47と乗っていた兵士
戦死したアメリカ兵の遺品
展示館から外に出ると、対空砲が展示してあります。
さびもなくきれいですけど、これは実際に使われたものなんでしょうね。
恐らく当時使用されていただろう対空砲
子供たちに人気の対空砲。平和な風景です。
エアボーン博物館は入館料7ユーロ(大人)
軍人であれば、国籍不問で無料になります。
そしてもちろん、第二次世界大戦に軍役についていた元兵士も無料です。
子供料金や開館時間などは下の公式サイトで確認してください。
Airborne Museum
博物館の案内ビデオ
場所は下の地図で確認できます。
Google map は便利ですね~
最後を飾るのは、アメリカ軍のエアボーンのビデオです。
あちこちに出ていたビデオを一つにまとめたもので、演習時と実戦時がごちゃまぜになっています。
どれが演習でどれが実戦か、画像の違いで分かるかも。
最後に赤外線カメラでのビデオが出てきます。
ということは、実戦時に撮影されたもの。
外に飛び出していった兵士たちは、そのあと無事だったんでしょうか・・・
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イギリス軍が上陸したゴールドビーチにあるD-Day博物館で、ノルマンディー上陸作戦を詳しく勉強しましたが、今度は実際に「大西洋の壁」を見学することにしましょう。
インターネットとGoogle mapで息子が事前に調べて来ていたので、車に乗り込んだ後は携帯カーナビに目的地を入れて出発です。
やってきたのは、ゴールデンビーチのあるArromanches(アロマンシェス)と、西に位置するオマハビーチとの間に挟まれた、Longues Sur Mer(ロング・シュル・メール)です。
崖の上になるここらの地域には「大西洋の壁」が続いていましたが、戦闘で大部分が破壊され、現存している壕はわずかです。
その中でも、使われた兵器と共に残っているのは、ノルマンディーではここだけです。
見学は無料なので、ほっと一息(笑)
Longues-sur-Mer battery(Wikipedia 英語版)
Batterie Longues sur Mer(Wikipedia ドイツ語版)
下にGoogle mapを持ってきました。
下部に4基、上部に1基のBattery(砲台)が見えています。
ドイツ語でもBatterieとなっていますが、Bunker(掩蔽壕:えんぺいごう)と言ったほうがいいかも。
ここが、今回の見学地です。
小さな駐車場に車を止めて、見学に出発です。
すぐに壕が見えてきました。
攻撃を受けて半壊した壕
こちらは完璧に残っています
壕の上に登った若い見学者たち。向こうの壕にもたくさん登っています。
見学に来た若い人たちが楽しそうに壕に登っていましたが、これも平和になった象徴ですね。
すぐ隣は上陸作戦当日に3000人以上のアメリカ軍死者を出した、「血のオマハ」と呼ばれたオマハビーチになります。
この壕から海に向けてドイツ軍が射撃をし、海の上のアメリカ軍艦が打った砲撃がビュンビュン飛んできました。
地図を見ると、壕のある前の畑に丸い跡がたくさんついています。
よく見ると、隣の畑にも丸い跡が見えます。
これはアメリカ軍が打った砲弾だと思われます。
地面からはそんな跡が未だに残っているなんて全くわかりませんが、空からだとよくわかりますね。
ローマ時代の町の跡も、地面からでは全く分からないのに、航空写真にくっきり浮かび上がっていることがよくあります。
そこだけ少しくぼんでいたり、隆起していたり、または土壌の変化からいつまでも昔の跡が残っている場所です。
左は畑に浮かび上がったローマ時代の建物の跡。
右は、土壌の違いでの豆の生育の差。
画像はクリックで拡大します。
さて、ドイツが公開している当時の写真がWikipediaに載っていたので、ここにも載せます。
この場所ではないですが、どんな感じだったのか少しはわかるでしょうか?
海岸に設置された壕
ぶ厚いコンクリートで攻撃を遮断する
壕のそばに掘られた溝
ここから海の方角に歩くと、崖に面したところにもう少し規模の大きな壕がありました。
砂に埋まっていたのを掘り出したんだそうです。
入口は上で、真っ暗な内部に入っていくと、広い部屋に出ます。
部屋は海側に砲撃用の隙間が細く開いているのですが、外から見ると下の写真になります。
黒い犬を連れた人が覗き込んでいるのが砲撃用の窓
向こうの壕も、こっちの屋根にもぼこぼこした穴が着いているけど、これは戦闘でできた穴と考えるのが妥当でしょう。
どんなすさまじい戦闘があったのか、私たちは想像するだけですが、それをありがたく思わざるをえません。
この周りは畑になっていますが、よく見るとあちこちに壕の跡がわずかに残っています。
完全に破壊されて、撤去された壕なんでしょうね。
せっかく来たのだからと、少し歩いてみることにしました。
壕の前を通る道路をアロマンシェスのほうに歩いたら、あのマルベリー港に使われた防波堤後が見えるかもしれない。
途中にある土埃の立つ駐車場にはたくさんキャンピングカーが止まっていました。
夏場は観光客もたくさん来るんでしょうね。
天気も良く、気持ちのいい散歩道を東へ向かって歩く人は他にもいました。
何度か崖っぷちに行ってみたけど、ゴールデンビーチからははるかに離れていて、防波堤跡を見るには遠すぎるということだけ。
でも、この日は運がよかったようです。
崖の上昇気流に乗って滑空するパラグライダー
左側は垂直な絶壁
もしかしたら、駐車場にあったキャンピングカーはパラグライダー達だったのかもしれません。
駐車場のそばの崖から、何人もが空に繰り出していました。
当時激しい戦闘があった場所で、今はのどかにパラグライダー見物ができるんです。
やはり平和が一番ですね。
ゴールドビーチの防波堤を見られるところまでは何時間も歩かないといけなそうなので、回れ右して駐車場に返ってきました。
帰り道からは、最初に見た砲列の全景が遠くに見えます。
ロング・シュル・メールの砲列
ノルマンディーには「大西洋の壁」がたくさん残っています。
破壊されたものから、ここのように完璧に残っているものまでありますが、どの砲台も歴史を物語っています。
ノルマンディーでは、北海岸の他に東海岸にも壁が存在しました。
旅行の際に訪れてみたい方は、下のサイトを参照されるといいでしょう。
ドイツ軍の守備壕のある場所の名前、地図、写真などが公開されているので、プランを立てるのに役立つと思います。
The Atlantik Wall In Normandy(英語)
インターネットとGoogle mapで息子が事前に調べて来ていたので、車に乗り込んだ後は携帯カーナビに目的地を入れて出発です。
やってきたのは、ゴールデンビーチのあるArromanches(アロマンシェス)と、西に位置するオマハビーチとの間に挟まれた、Longues Sur Mer(ロング・シュル・メール)です。
崖の上になるここらの地域には「大西洋の壁」が続いていましたが、戦闘で大部分が破壊され、現存している壕はわずかです。
その中でも、使われた兵器と共に残っているのは、ノルマンディーではここだけです。
見学は無料なので、ほっと一息(笑)
Longues-sur-Mer battery(Wikipedia 英語版)
Batterie Longues sur Mer(Wikipedia ドイツ語版)
下にGoogle mapを持ってきました。
下部に4基、上部に1基のBattery(砲台)が見えています。
ドイツ語でもBatterieとなっていますが、Bunker(掩蔽壕:えんぺいごう)と言ったほうがいいかも。
ここが、今回の見学地です。
小さな駐車場に車を止めて、見学に出発です。
すぐに壕が見えてきました。
攻撃を受けて半壊した壕
こちらは完璧に残っています
壕の上に登った若い見学者たち。向こうの壕にもたくさん登っています。
見学に来た若い人たちが楽しそうに壕に登っていましたが、これも平和になった象徴ですね。
すぐ隣は上陸作戦当日に3000人以上のアメリカ軍死者を出した、「血のオマハ」と呼ばれたオマハビーチになります。
この壕から海に向けてドイツ軍が射撃をし、海の上のアメリカ軍艦が打った砲撃がビュンビュン飛んできました。
地図を見ると、壕のある前の畑に丸い跡がたくさんついています。
よく見ると、隣の畑にも丸い跡が見えます。
これはアメリカ軍が打った砲弾だと思われます。
地面からはそんな跡が未だに残っているなんて全くわかりませんが、空からだとよくわかりますね。
ローマ時代の町の跡も、地面からでは全く分からないのに、航空写真にくっきり浮かび上がっていることがよくあります。
そこだけ少しくぼんでいたり、隆起していたり、または土壌の変化からいつまでも昔の跡が残っている場所です。
左は畑に浮かび上がったローマ時代の建物の跡。
右は、土壌の違いでの豆の生育の差。
さて、ドイツが公開している当時の写真がWikipediaに載っていたので、ここにも載せます。
この場所ではないですが、どんな感じだったのか少しはわかるでしょうか?
海岸に設置された壕
ぶ厚いコンクリートで攻撃を遮断する
壕のそばに掘られた溝
ここから海の方角に歩くと、崖に面したところにもう少し規模の大きな壕がありました。
砂に埋まっていたのを掘り出したんだそうです。
入口は上で、真っ暗な内部に入っていくと、広い部屋に出ます。
部屋は海側に砲撃用の隙間が細く開いているのですが、外から見ると下の写真になります。
黒い犬を連れた人が覗き込んでいるのが砲撃用の窓
向こうの壕も、こっちの屋根にもぼこぼこした穴が着いているけど、これは戦闘でできた穴と考えるのが妥当でしょう。
どんなすさまじい戦闘があったのか、私たちは想像するだけですが、それをありがたく思わざるをえません。
この周りは畑になっていますが、よく見るとあちこちに壕の跡がわずかに残っています。
完全に破壊されて、撤去された壕なんでしょうね。
せっかく来たのだからと、少し歩いてみることにしました。
壕の前を通る道路をアロマンシェスのほうに歩いたら、あのマルベリー港に使われた防波堤後が見えるかもしれない。
途中にある土埃の立つ駐車場にはたくさんキャンピングカーが止まっていました。
夏場は観光客もたくさん来るんでしょうね。
天気も良く、気持ちのいい散歩道を東へ向かって歩く人は他にもいました。
何度か崖っぷちに行ってみたけど、ゴールデンビーチからははるかに離れていて、防波堤跡を見るには遠すぎるということだけ。
でも、この日は運がよかったようです。
崖の上昇気流に乗って滑空するパラグライダー
左側は垂直な絶壁
もしかしたら、駐車場にあったキャンピングカーはパラグライダー達だったのかもしれません。
駐車場のそばの崖から、何人もが空に繰り出していました。
当時激しい戦闘があった場所で、今はのどかにパラグライダー見物ができるんです。
やはり平和が一番ですね。
ゴールドビーチの防波堤を見られるところまでは何時間も歩かないといけなそうなので、回れ右して駐車場に返ってきました。
帰り道からは、最初に見た砲列の全景が遠くに見えます。
ロング・シュル・メールの砲列
ノルマンディーには「大西洋の壁」がたくさん残っています。
破壊されたものから、ここのように完璧に残っているものまでありますが、どの砲台も歴史を物語っています。
ノルマンディーでは、北海岸の他に東海岸にも壁が存在しました。
旅行の際に訪れてみたい方は、下のサイトを参照されるといいでしょう。
ドイツ軍の守備壕のある場所の名前、地図、写真などが公開されているので、プランを立てるのに役立つと思います。
The Atlantik Wall In Normandy(英語)
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ノルマンディー海岸見学のために、わざわざ引き潮の時間を狙っていくのにはわけがあります。
遠浅のため、潮が引くと大きなビーチが出現するのですが、それと共に現れる第二次世界大戦の遺物がゴールドビーチに転がっているからです。
潮が引くと現れる、当時の遺物
満ち潮になると、緑色のところまで水が来る。海の向こうにも遺物が見える。
これも上陸作戦と関係があるだろうことは誰でもわかりますが、いったい何に使ったんでしょうね?
この答えがD-Day博物館の中にありました。
ゴールドビーチに作られた人工の港
6月に連合軍が上陸作戦に成功した後は、各国の連合軍は内陸地へ進軍しました。
そこで必要になるのが、後方からの物資および人員輸送拠点。
しかし、港を有するシェルブール(北ノルマンディーの西の果て)を陥落するのに手間どり、やっと手に入れたのは8月末で、それもドイツ軍によってすでに港湾施設は破壊され、再び港としての機能を持たせるのに時間がかかりました。
そのため、連合軍は上陸作戦によって手中に入れた場所に人工港を作ることを余儀なくされ、選ばれたのがこのゴールドビーチと、激戦のあったオマハビーチでした。
すでに連合軍はこの地域の制空権を取っていたので、人工埠頭建設の邪魔が入ることはありませでしたが、浜が遠浅なために輸送船を直接ビーチに着けることができない。
そこで、戦車も通れる巨大な橋を有した、大規模な人工港、マルベリー・ハーバーが作られました。
Mulberry Harbor(Wipedia英語版)
Mulberry-Hafen(Wikipediaドイツ語版)
Wikipediaには各国が公開している当時の写真がたくさんアップされているので、当時の様子を実際に見ることができます。
上の写真は、当時のゴールドビーチに作られた人工港です。
手前に見えるのが人工の防波堤です。
右側に四角いブロックが並んでいるのはわかると思いますが、右側が何かわかりますか?
左側は船を利用した防波堤です。
ここにはたくさんの老朽船が集められ、防波堤予定地域に次々に沈められました。
船が足りなくなった後は、大きなコンクリートブロックを沈めて防波堤を完成させました。
人工防波堤で波に守られた内側には船舶が接岸することのできるハシケ状の埠頭が作られ、そこから長い組み立て式の橋を使って、遠浅のビーチに物資を運びこみました。
博物館では埠頭の大きなモデルが置いてあって、詳細まではっきりと見ることができますが、光がガラスに反射してしまい、写真を撮れませんでした(残念)
なので、角から撮れた下の1枚だけではありますが、埠頭から延びる橋がどのようになっていたかはわかると思います。
満干潮でも問題なく埠頭へ行くために、橋が使用された
橋の向こうに大規模なハシケ状埠頭が見える
この人工港は上陸作戦開始翌日の6月7日から13日をかけて作られましたが、オマハビーチでは暴風のため、完成直前にして壊滅的なダメージを受けました。
そのため、一つだけになったゴールドビーチの港はフル活動となり、シェルブール港が使えるようになる10月末まで、連合軍に物資と人員を供給し続けました。
さて、ここで記事の冒頭に戻りますが、未だにゴールドビーチに残る当時の遺物が何なのか、これでわかったでしょうか?
そう、あれは当時の橋だったんですね。
そして、海の向こうの物体は、防波堤に使われたコンクリートのブロックです。
Google mapにも、はっきりと映っています。
このままでも機能しますが、地図の下のリンクで地図が拡大します。
旧防波堤を地面から撮った写真がWikipediaにあったので、載せておきます。
Google map を拡大してみると、左側の海面に格子模様の巨大なブロックが見えますが、これが下の写真の部分です。
防波堤に使われた巨大なブロックの近影
記事上部の写真の背景に映っていた遺物が、この防波堤
ノルマンディー上陸作戦は、映画やドキュメンタリーによく取り上げられるので結構知っていますが、ここにマルベリー港と呼ばれる大きな人工港が作られたのは全く知りませんでした。
D-Day博物館ではこの人工港に関する展示も多く、港建設の様子を当時撮影された映像で見ることもできます。
あちこちに残る、破壊されたドイツ軍の「大西洋の壁」とともに、ゴールデンビーチのマルベリー港はノルマンディー上陸作戦観光には欠かせない場所となっています。
平和な風景の中に残る生々しい傷跡は、D-Dayに死んでいった無数の兵士たちの無念が残っているようで、歴史を感じずにはいられません。
遠浅のため、潮が引くと大きなビーチが出現するのですが、それと共に現れる第二次世界大戦の遺物がゴールドビーチに転がっているからです。
潮が引くと現れる、当時の遺物
満ち潮になると、緑色のところまで水が来る。海の向こうにも遺物が見える。
これも上陸作戦と関係があるだろうことは誰でもわかりますが、いったい何に使ったんでしょうね?
この答えがD-Day博物館の中にありました。
ゴールドビーチに作られた人工の港
6月に連合軍が上陸作戦に成功した後は、各国の連合軍は内陸地へ進軍しました。
そこで必要になるのが、後方からの物資および人員輸送拠点。
しかし、港を有するシェルブール(北ノルマンディーの西の果て)を陥落するのに手間どり、やっと手に入れたのは8月末で、それもドイツ軍によってすでに港湾施設は破壊され、再び港としての機能を持たせるのに時間がかかりました。
そのため、連合軍は上陸作戦によって手中に入れた場所に人工港を作ることを余儀なくされ、選ばれたのがこのゴールドビーチと、激戦のあったオマハビーチでした。
すでに連合軍はこの地域の制空権を取っていたので、人工埠頭建設の邪魔が入ることはありませでしたが、浜が遠浅なために輸送船を直接ビーチに着けることができない。
そこで、戦車も通れる巨大な橋を有した、大規模な人工港、マルベリー・ハーバーが作られました。
Mulberry Harbor(Wipedia英語版)
Mulberry-Hafen(Wikipediaドイツ語版)
Wikipediaには各国が公開している当時の写真がたくさんアップされているので、当時の様子を実際に見ることができます。
上の写真は、当時のゴールドビーチに作られた人工港です。
手前に見えるのが人工の防波堤です。
右側に四角いブロックが並んでいるのはわかると思いますが、右側が何かわかりますか?
左側は船を利用した防波堤です。
ここにはたくさんの老朽船が集められ、防波堤予定地域に次々に沈められました。
船が足りなくなった後は、大きなコンクリートブロックを沈めて防波堤を完成させました。
人工防波堤で波に守られた内側には船舶が接岸することのできるハシケ状の埠頭が作られ、そこから長い組み立て式の橋を使って、遠浅のビーチに物資を運びこみました。
博物館では埠頭の大きなモデルが置いてあって、詳細まではっきりと見ることができますが、光がガラスに反射してしまい、写真を撮れませんでした(残念)
なので、角から撮れた下の1枚だけではありますが、埠頭から延びる橋がどのようになっていたかはわかると思います。
満干潮でも問題なく埠頭へ行くために、橋が使用された
橋の向こうに大規模なハシケ状埠頭が見える
この人工港は上陸作戦開始翌日の6月7日から13日をかけて作られましたが、オマハビーチでは暴風のため、完成直前にして壊滅的なダメージを受けました。
そのため、一つだけになったゴールドビーチの港はフル活動となり、シェルブール港が使えるようになる10月末まで、連合軍に物資と人員を供給し続けました。
さて、ここで記事の冒頭に戻りますが、未だにゴールドビーチに残る当時の遺物が何なのか、これでわかったでしょうか?
そう、あれは当時の橋だったんですね。
そして、海の向こうの物体は、防波堤に使われたコンクリートのブロックです。
Google mapにも、はっきりと映っています。
このままでも機能しますが、地図の下のリンクで地図が拡大します。
旧防波堤を地面から撮った写真がWikipediaにあったので、載せておきます。
Google map を拡大してみると、左側の海面に格子模様の巨大なブロックが見えますが、これが下の写真の部分です。
防波堤に使われた巨大なブロックの近影
記事上部の写真の背景に映っていた遺物が、この防波堤
ノルマンディー上陸作戦は、映画やドキュメンタリーによく取り上げられるので結構知っていますが、ここにマルベリー港と呼ばれる大きな人工港が作られたのは全く知りませんでした。
D-Day博物館ではこの人工港に関する展示も多く、港建設の様子を当時撮影された映像で見ることもできます。
あちこちに残る、破壊されたドイツ軍の「大西洋の壁」とともに、ゴールデンビーチのマルベリー港はノルマンディー上陸作戦観光には欠かせない場所となっています。
平和な風景の中に残る生々しい傷跡は、D-Dayに死んでいった無数の兵士たちの無念が残っているようで、歴史を感じずにはいられません。
(拍手のコメントにはカテゴリー「拍手へのお返事」でお返事を書いています)
第2次世界大戦のノルマンディー上陸作戦は有名ですが、どこだったか言えますか?
イギリスの南方に位置する、ノルマンディー地方北部の海岸です。
当時はドイツ側も連合軍が上陸してくることを予期して、イギリスから上陸可能な海岸線をノルウェーからフランスまで、「大西洋の壁」と呼ばれる海岸守備網を建設していました。実際には物資不足で、壁が完成することはありませんでしたが、イギリスに一番近いカレーを中心に、そこから東西に守備網が続ていました。
連合軍側は早くからノルマンディーへの上陸を計画していましたが、いくつもの偽装工作をし、ノルマンディー上陸はないとドイツに思わせることに成功したのが、この上陸作戦の成功の鍵となりました。
しかし、この上陸作戦の成功については、ただ連合軍側の作戦だけではなく、ドイツ軍側にも問題があったようです。
この大西洋の壁に挑戦した連合軍側は、アメリカ、イギリス、そしてカナダ。
作戦開始は1944年6月6日。
上陸は海と空からで、空からはパラシュート部隊が内陸部に降下して、ドイツ軍の背後に回り込む作戦でした。
下の写真をクリックして拡大すると、海路と空路、および参加国の上陸地点がよくわかります。
アメリカ軍:オマハビーチ、ユタビーチ
イギリス軍:ゴールドビーチ、ソードビーチ
カナダ軍:ジュノービーチ(ゴールドビーチとソードビーチの中間)
さて、前勉強はこのくらいにして、そろそろゴールドビーチに到着です。
上の地図で言うと、左から3番目の矢印の場所。
イギリス軍が上陸したアロマンシェスのビーチです。
イギリス軍が上陸したゴールドビーチ(引き潮時)
多くの犠牲を払って連合軍が上陸したこのビーチに立てば、当時の様子が知りたくなります。
そこでお勧めなのは、ここの海岸にある「Musée du Débarquement」(ノルマンディー上陸博物館)。ここに上陸したイギリス部隊の資料は興味深いです。
また、連合軍が上陸した各ビーチにもそれぞれの博物館があるので、各ビーチの上陸の様子がよくわかります。
ノルマンディー上陸博物館
向こう側の平和なお土産屋さんとミスマッチする兵器
作戦に使用した船などのモデル
博物館の中にも当時の写真がありましたが、イギリスやアメリカ政府の機密書類だった当時の写真がすでに公開されていて、Wikipediaにも載っているのでここに持ってきました。
当時の様子が垣間見えます。
上陸作戦では、どのビーチでも多数の犠牲者が出ました。
さえぎる物のないオマハビーチでは集中攻撃を受け、50%にあたる約3000人の兵士が数時間のうちに死亡しています。
また、ジュノービーチに上陸したカナダ軍も、ドイツ軍の一斉射撃の的となり、ビーチにたどり着けなかった兵士が続出して、上陸開始約1時間で50%の死亡者が出ました。
映画「Private Ryan」には、この過酷な上陸戦闘シーンがあります。
非常にリアルに撮影されていてショッキングなシーンもありますが、実際も恐らくこんな様子だったんじゃないかと思います。
映画では20分程度で終わるこの戦闘シーン、現実には数時間続きました。
さて、引き潮になるとビーチに現れる当時の遺物ですが、下のようなものです。
当時に作られたあるものの名残なのですが、今回は記事が長くなりすぎるのでちょっと無理。
次回にご紹介することにしますね~
イギリスの南方に位置する、ノルマンディー地方北部の海岸です。
当時はドイツ側も連合軍が上陸してくることを予期して、イギリスから上陸可能な海岸線をノルウェーからフランスまで、「大西洋の壁」と呼ばれる海岸守備網を建設していました。実際には物資不足で、壁が完成することはありませんでしたが、イギリスに一番近いカレーを中心に、そこから東西に守備網が続ていました。
連合軍側は早くからノルマンディーへの上陸を計画していましたが、いくつもの偽装工作をし、ノルマンディー上陸はないとドイツに思わせることに成功したのが、この上陸作戦の成功の鍵となりました。
しかし、この上陸作戦の成功については、ただ連合軍側の作戦だけではなく、ドイツ軍側にも問題があったようです。
- 連合軍が上陸するのはノルマンディーだと考えていたロンメル陸軍元帥が海岸線守備の補強を訴えたにかかわらず、もう一人の元帥が内陸地での戦闘を提唱したために、海岸線守備に半分の兵力しか投入できなかった。
- また、守備に当たった兵士たちは東部戦線から来た非ドイツ人や弱小者が多かったために士気が高まらず、連合軍が上陸したあとは簡単に降参する兵士が多かった。
- 後方に待機していた3個師団は、出動に必要なヒットラーの許可が遅くなったため、海岸地方に向かう途中に連合軍の爆撃を受けて多くの戦車を失った。
- 連合軍が先に行ったフランス内陸部の爆撃のせいで道路が破壊されたりしたため、ドイツ軍への物資がなかなか届かなかった。
- 上陸前夜にイギリスからフランスのレジスタンスにあてた暗号放送をキャッチしたドイツ側情報部が軍最高司令部とカレーに警告を送ったが、ノルマンディー上陸はないと考えられていたために、ノルマンディーには届いていなかった。
この大西洋の壁に挑戦した連合軍側は、アメリカ、イギリス、そしてカナダ。
作戦開始は1944年6月6日。
上陸は海と空からで、空からはパラシュート部隊が内陸部に降下して、ドイツ軍の背後に回り込む作戦でした。
下の写真をクリックして拡大すると、海路と空路、および参加国の上陸地点がよくわかります。
アメリカ軍:オマハビーチ、ユタビーチ
イギリス軍:ゴールドビーチ、ソードビーチ
カナダ軍:ジュノービーチ(ゴールドビーチとソードビーチの中間)
さて、前勉強はこのくらいにして、そろそろゴールドビーチに到着です。
上の地図で言うと、左から3番目の矢印の場所。
イギリス軍が上陸したアロマンシェスのビーチです。
イギリス軍が上陸したゴールドビーチ(引き潮時)
そこでお勧めなのは、ここの海岸にある「Musée du Débarquement」(ノルマンディー上陸博物館)。ここに上陸したイギリス部隊の資料は興味深いです。
また、連合軍が上陸した各ビーチにもそれぞれの博物館があるので、各ビーチの上陸の様子がよくわかります。
ノルマンディー上陸博物館
向こう側の平和なお土産屋さんとミスマッチする兵器
作戦に使用した船などのモデル
博物館の中にも当時の写真がありましたが、イギリスやアメリカ政府の機密書類だった当時の写真がすでに公開されていて、Wikipediaにも載っているのでここに持ってきました。
当時の様子が垣間見えます。
上陸作戦では、どのビーチでも多数の犠牲者が出ました。
さえぎる物のないオマハビーチでは集中攻撃を受け、50%にあたる約3000人の兵士が数時間のうちに死亡しています。
また、ジュノービーチに上陸したカナダ軍も、ドイツ軍の一斉射撃の的となり、ビーチにたどり着けなかった兵士が続出して、上陸開始約1時間で50%の死亡者が出ました。
映画「Private Ryan」には、この過酷な上陸戦闘シーンがあります。
非常にリアルに撮影されていてショッキングなシーンもありますが、実際も恐らくこんな様子だったんじゃないかと思います。
映画では20分程度で終わるこの戦闘シーン、現実には数時間続きました。
さて、引き潮になるとビーチに現れる当時の遺物ですが、下のようなものです。
当時に作られたあるものの名残なのですが、今回は記事が長くなりすぎるのでちょっと無理。
次回にご紹介することにしますね~
(拍手のコメントにはカテゴリー「拍手へのお返事」でお返事を書いています)
イースター祝日の日曜日は抜けるような青い空で、絶好のドライブ日和。
この日はノルマンディー上陸作戦で有名なノルマンディー北海岸へ向けて走りました。
D-Dayで知られたこの海岸に行くためには、ひとつ絶対に忘れてはいけないことがあります。
それは、必ず干潮の時間に行かなければならないということ。
なぜかわかります?
実は干潮になると、当時の遺物が水の下から現れてくるんです。
せっかく観光するなら、未だに残っているその遺物も見学しないと意味がない。
ということで、ちゃんと家で潮の満ち引きの時間を調べてきました。
モン・サン・ミシェルもちょうど干潮で、遥か彼方にまで水が引いた頃に観光でしたが、こっちのほうは実は偶然。私としては、できれば満潮時が見たいところでした。
さて、潮の干満潮の時間ですが、いくつかサイトがあります。
自分が利用したサイトが見つけられないので、他のサイトのリンクを持ってきました。
このサイトにある地図から場所を選ぶこともできるし、地名で選ぶこともできます。
青いポイントにマウスを持っていくと地名が、クリックするとそのページに行きます。
フランス語なので、Google の翻訳機能を利用するとわかりやすいですが、干潮はグラフになっているのですぐわかるでしょう。
サイトにあるマップを利用すると簡単
フランスの海岸の干満潮インフォメーション
pleimer(フランスの海岸)
pleimer(ノルマンディー海岸)
この日の干潮は9時半。
10時までに着けばいいだろうということで、8時にグランヴィルを出発です。
この日は高速道路ではなく、国道を走ったので、ノルマンディー特有の風景が次々に現れてきます。
これぞ、ノルマンディー特有の石造りの家
どこへ行っても石造り
質素な石の家も、お店になると賑やか
なーんにもないノルマンディーの田舎
コンクリート製の、足かけ付き電信柱
途中で見かけた電信柱にびっくりしました。
足を掛けるためにはしご状になっている。
息子によると、これは戦前から使われているもので、ドイツでも田舎のほうに行けばまだ残っているところがあるそうな。
私たちが走った道路や町にも、戦時はドイツ軍や連合軍が進行したのだろうから、この電信柱は歴史の証人でもあるわけですね。
あちこちで放牧された牛たちがのどかに草を食んでいる、こんなのんびりした田舎でも、当時は激しい戦闘があったはず。上陸作戦があった海岸が近づいてくるにつれ、思いは自然に戦争へと傾いて行きます。
次回はいよいよ、ノルマンディー上陸作戦の舞台です。
この日はノルマンディー上陸作戦で有名なノルマンディー北海岸へ向けて走りました。
D-Dayで知られたこの海岸に行くためには、ひとつ絶対に忘れてはいけないことがあります。
それは、必ず干潮の時間に行かなければならないということ。
なぜかわかります?
実は干潮になると、当時の遺物が水の下から現れてくるんです。
せっかく観光するなら、未だに残っているその遺物も見学しないと意味がない。
ということで、ちゃんと家で潮の満ち引きの時間を調べてきました。
モン・サン・ミシェルもちょうど干潮で、遥か彼方にまで水が引いた頃に観光でしたが、こっちのほうは実は偶然。私としては、できれば満潮時が見たいところでした。
さて、潮の干満潮の時間ですが、いくつかサイトがあります。
自分が利用したサイトが見つけられないので、他のサイトのリンクを持ってきました。
このサイトにある地図から場所を選ぶこともできるし、地名で選ぶこともできます。
青いポイントにマウスを持っていくと地名が、クリックするとそのページに行きます。
フランス語なので、Google の翻訳機能を利用するとわかりやすいですが、干潮はグラフになっているのですぐわかるでしょう。
サイトにあるマップを利用すると簡単
フランスの海岸の干満潮インフォメーション
pleimer(フランスの海岸)
pleimer(ノルマンディー海岸)
この日の干潮は9時半。
10時までに着けばいいだろうということで、8時にグランヴィルを出発です。
この日は高速道路ではなく、国道を走ったので、ノルマンディー特有の風景が次々に現れてきます。
これぞ、ノルマンディー特有の石造りの家
どこへ行っても石造り
質素な石の家も、お店になると賑やか
なーんにもないノルマンディーの田舎
コンクリート製の、足かけ付き電信柱
途中で見かけた電信柱にびっくりしました。
足を掛けるためにはしご状になっている。
息子によると、これは戦前から使われているもので、ドイツでも田舎のほうに行けばまだ残っているところがあるそうな。
私たちが走った道路や町にも、戦時はドイツ軍や連合軍が進行したのだろうから、この電信柱は歴史の証人でもあるわけですね。
あちこちで放牧された牛たちがのどかに草を食んでいる、こんなのんびりした田舎でも、当時は激しい戦闘があったはず。上陸作戦があった海岸が近づいてくるにつれ、思いは自然に戦争へと傾いて行きます。
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