旅行+生活情報+ドイツ語と、ちょっと言いたい今日のドイツ
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マリエン教会から北のほうに歩いていくと、大きな広場に出ます。
この広場に面していくつかの建物が建っていますが、そのひとつであるヤコビ教会が今日の建物です。
Jakobikirche (wikipedia)ドイツ語
この場所には元々他の教会があったのですが、1276年に起きた大火災で焼けてしまったため、新しい教会が船乗りと猟師のために建てられました。
完成は1334年です。
この教会は戦争時に破壊されなかった数少ない建物のひとつで、リューベックで最後まで残った歴史的なパイプオルガンを2台所有しています。
ここを訪れたときは船乗りの教会だとは知らなかったので、昔の救命ボートが置いてあるのを見て「?」だったんですが、今記事を書くためにWkipedia を読んでいて納得しました。
行く前に勉強しときゃよかったんですが、なにせガイドブック(ドイツ語)の細かい説明を読むのが億劫で(^^;)
教会の北側に、海で遭難した船乗りたちの追悼記念碑が設置されていますが、ここに救命ボートが置いてあります。
これは1957年に海に沈んだパミアという船の救命ボートで、86人の乗組員のうち、助かったのはわずか6人でした。
この追悼記念碑はドイツ政府、シュレスヴィック・ホルシュタイン州、そして教会の信者たちの要望で、2007年に設置されました。
先に説明しましたが、この教会にはリューベックの貴重な歴史財産が残っています。
教会の奥にある大きなオルガンは1465~66年に作られ、その後改修を重ねて今の形になりました。
第二次世界大戦時には、オルガンを解体して防空壕代わりのチャペルの中に保存されていましたが、戦後元の場所にまた戻されました。
1981~1984年には大改修が行われ、1673年当時の姿が再現されましたが、2012年にはさらにメンテナンスが行われ、音程が改善されました。
また、教会の西側の側面に作られた小さなオルガンは1467~1515年に作られ、やはりこれも何度かの改修が行われました。
このオルガンはリューベクの歴史的オルガンの中で唯一、外見的にも内面的(音)にも破損していません。
ドイツの著名なパイプオルガン奏者ヘルムート・ヴァルヒャ(Helmut Walcha)はバッハの曲をいくつかの教会のパイプオルガンで演奏、録音してレコードに出す功績を残しましたが、この小さなオルガンでの演奏も含まれていることから、ヤコビ教会のオルガンの名を広く知らしめました。
何かの機会があるときしか演奏は聴くことが出来ませんが、そんなに有名なオルガンなら、一度音色を聞いてみたいもんですね。
しかし、この記事に書いたことは、現地では何も知らなかったわけです。
すでに知っていれば、ほう~っと感動でもしたろうにね。
さて、次回は聖霊病院をご紹介しますね。
この広場に面していくつかの建物が建っていますが、そのひとつであるヤコビ教会が今日の建物です。
Jakobikirche (wikipedia)ドイツ語
この場所には元々他の教会があったのですが、1276年に起きた大火災で焼けてしまったため、新しい教会が船乗りと猟師のために建てられました。
完成は1334年です。
この教会は戦争時に破壊されなかった数少ない建物のひとつで、リューベックで最後まで残った歴史的なパイプオルガンを2台所有しています。
広場から見たヤコビ教会
質素な内装ですが、壁の絵は相当古いです
祭壇もなかなか見ごたえがある
由緒あるインテリアと、オリジナルの壁画
ここを訪れたときは船乗りの教会だとは知らなかったので、昔の救命ボートが置いてあるのを見て「?」だったんですが、今記事を書くためにWkipedia を読んでいて納得しました。
行く前に勉強しときゃよかったんですが、なにせガイドブック(ドイツ語)の細かい説明を読むのが億劫で(^^;)
教会の北側に、海で遭難した船乗りたちの追悼記念碑が設置されていますが、ここに救命ボートが置いてあります。
これは1957年に海に沈んだパミアという船の救命ボートで、86人の乗組員のうち、助かったのはわずか6人でした。
この追悼記念碑はドイツ政府、シュレスヴィック・ホルシュタイン州、そして教会の信者たちの要望で、2007年に設置されました。
悲惨な歴史を刻んだパミアの救命ボート(Wikipedia より)
先に説明しましたが、この教会にはリューベックの貴重な歴史財産が残っています。
教会の奥にある大きなオルガンは1465~66年に作られ、その後改修を重ねて今の形になりました。
第二次世界大戦時には、オルガンを解体して防空壕代わりのチャペルの中に保存されていましたが、戦後元の場所にまた戻されました。
1981~1984年には大改修が行われ、1673年当時の姿が再現されましたが、2012年にはさらにメンテナンスが行われ、音程が改善されました。
音が出る穴を人間の口になぞらえた装飾
また、教会の西側の側面に作られた小さなオルガンは1467~1515年に作られ、やはりこれも何度かの改修が行われました。
このオルガンはリューベクの歴史的オルガンの中で唯一、外見的にも内面的(音)にも破損していません。
ドイツの著名なパイプオルガン奏者ヘルムート・ヴァルヒャ(Helmut Walcha)はバッハの曲をいくつかの教会のパイプオルガンで演奏、録音してレコードに出す功績を残しましたが、この小さなオルガンでの演奏も含まれていることから、ヤコビ教会のオルガンの名を広く知らしめました。
小さいけど重厚な作りのオルガン
何かの機会があるときしか演奏は聴くことが出来ませんが、そんなに有名なオルガンなら、一度音色を聞いてみたいもんですね。
しかし、この記事に書いたことは、現地では何も知らなかったわけです。
すでに知っていれば、ほう~っと感動でもしたろうにね。
さて、次回は聖霊病院をご紹介しますね。
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リューベックの有名な市庁舎の横に立つマリエン教会は、1250年~1350年にかけて建てられました。教会の建物は北ドイツによく見られるレンガゴシック様式の母と呼ばれ、他の地域の70に及ぶ教会の見本となっています。
Marienkirche (Wikipedia) ドイツ語
第二次世界大戦時には、リューベックも他の都市と同様に爆弾攻撃を受けて市の5分の一が破壊され、マリエン教会や他の教会も大きな被害を受けました。
教会の再建は1947年から始まり、12年後の1959年には完成式が行われました。
市役所を見学した後は、すぐ横のマリエン教会に行く人が多いでしょうね。
私たちもそのコースで教会を訪れました。
市役所から教会に来ると、入り口の右側のところになぜか、悪魔が腰掛けています。
教会に悪魔って全然マッチしないけど、これには面白い由来があるんですよ。
町の人々が教会の基礎を置いたとき、悪魔はこれを見て酒場を作るのだと思い込みました。
酒場では時々悪魔に魂を売る人間が現れるので、これを大いに気に入った悪魔は人々に混じって一緒に働いたので、建物は驚くほど早く出来上がりました。
しかし、酒場だと思って協力していた悪魔も、建物が完成してくるとやっと、自分が何を作っていたのか気がついてしまいました。
怒り狂った悪魔は教会を壊そうと、大きな岩を抱えて殴りこんで来ましたが、そこに勇気のある職人が悪魔に呼びかけました。
「悪魔さん、壊さないでください!この横に酒場を作りますから!」
この言葉に悪魔は納得したようで、教会の前に岩を放り出しました。
そのため、この場所には未だに悪魔の爪跡が残っています。
ということで、その由来の説明版の下には悪魔が腰掛けています。
もちろんこれは後から置かれた物で、1999年の作品です。
リューベックの建物の中は、どこも壁がきれいな模様で装飾されていますが、教会も例外ではなく、柱や天井がきれいな、と言うか、可愛らしい模様で飾られています。
なので、他の地方の厳かな教会と比べると、雰囲気が華やかです。
ステンドグラスも戦争で完璧に破壊されてしまいました。
再建時に作られたのは簡素な物が多く、再建に寄付した町のワッペンが入れられていますが。南側の2枚の窓だけは違ったモチーフが見られます。
髑髏の頭を持つ「死」がたくさん描かれていますが、これは戦争で破壊された「Lübecker Totentanz(リューベックの死のダンス)」をモチーフにしています。
「死のダンス」は1463年に教会の中のチャペルに描かれた有名な壁画で、14世紀に流行ったペストの脅威を髑髏の死神として表していましたが、戦争時の火事で破壊され、現在は残っていません。
教会の歴史を知らないと、ステンドグラスを見て「なんであそこに髑髏がいるの?」と思ってしまいますよね(実は私もそう思った本人)
戦争時には教会の貴重なものがたくさん破壊されましたが、16世紀に作られた天文時計もそのひとつで、戦後にリューベックの時計職人によって復刻されました。
元々は凝った装飾だったようですが、現在のはシンプルになっています。
教会の中をぐるっと見学していくと、祭壇の後ろ手のほうに、割れた大きな鐘が展示してあります。これは第二次世界大戦時に爆弾が市に落とされたときに、教会の屋根が焼け落ちて落下した鐘で、今でも壊れた形そのままに、戦争への戒めとしておかれています。
さて、いかがでしたでしょうか。
マリエン教会を見学されるときは、前もって勉強していくとより理解できて楽しいです。
この記事を読めばばっちりとは行かないまでも、大分勉強できると思いますよ。
次回もまた教会を紹介しますね~
Marienkirche (Wikipedia) ドイツ語
第二次世界大戦時には、リューベックも他の都市と同様に爆弾攻撃を受けて市の5分の一が破壊され、マリエン教会や他の教会も大きな被害を受けました。
教会の再建は1947年から始まり、12年後の1959年には完成式が行われました。
瓦礫の山となったリューベックに立つマリエン教会。
屋根が焼け落ちている(Wikipedia より)
現在のマリエン教会(Wikipedia より)
市役所を見学した後は、すぐ横のマリエン教会に行く人が多いでしょうね。
私たちもそのコースで教会を訪れました。
下から見上げるとこう見える
市役所から教会に来ると、入り口の右側のところになぜか、悪魔が腰掛けています。
教会に悪魔って全然マッチしないけど、これには面白い由来があるんですよ。
町の人々が教会の基礎を置いたとき、悪魔はこれを見て酒場を作るのだと思い込みました。
酒場では時々悪魔に魂を売る人間が現れるので、これを大いに気に入った悪魔は人々に混じって一緒に働いたので、建物は驚くほど早く出来上がりました。
しかし、酒場だと思って協力していた悪魔も、建物が完成してくるとやっと、自分が何を作っていたのか気がついてしまいました。
怒り狂った悪魔は教会を壊そうと、大きな岩を抱えて殴りこんで来ましたが、そこに勇気のある職人が悪魔に呼びかけました。
「悪魔さん、壊さないでください!この横に酒場を作りますから!」
この言葉に悪魔は納得したようで、教会の前に岩を放り出しました。
そのため、この場所には未だに悪魔の爪跡が残っています。
ということで、その由来の説明版の下には悪魔が腰掛けています。
もちろんこれは後から置かれた物で、1999年の作品です。
可愛いらしいが、アホな悪魔を現しているんだろうか?
リューベックの建物の中は、どこも壁がきれいな模様で装飾されていますが、教会も例外ではなく、柱や天井がきれいな、と言うか、可愛らしい模様で飾られています。
なので、他の地方の厳かな教会と比べると、雰囲気が華やかです。
こんな装飾、うちの町にも欲しい~(ハハハ)
可愛いお花模様が天井にたくさん
柱にもきれいな模様が描かれている
ステンドグラスも戦争で完璧に破壊されてしまいました。
再建時に作られたのは簡素な物が多く、再建に寄付した町のワッペンが入れられていますが。南側の2枚の窓だけは違ったモチーフが見られます。
髑髏の頭を持つ「死」がたくさん描かれていますが、これは戦争で破壊された「Lübecker Totentanz(リューベックの死のダンス)」をモチーフにしています。
Lübecker Totentanz(画像クリックでWikipedia の画像ページに飛びます)
「死のダンス」は1463年に教会の中のチャペルに描かれた有名な壁画で、14世紀に流行ったペストの脅威を髑髏の死神として表していましたが、戦争時の火事で破壊され、現在は残っていません。
教会の歴史を知らないと、ステンドグラスを見て「なんであそこに髑髏がいるの?」と思ってしまいますよね(実は私もそう思った本人)
死の象徴のペストがモチーフのステンドグラス
戦争時には教会の貴重なものがたくさん破壊されましたが、16世紀に作られた天文時計もそのひとつで、戦後にリューベックの時計職人によって復刻されました。
元々は凝った装飾だったようですが、現在のはシンプルになっています。
Die Astronomische Uhr(天文時計)
月の満ち欠けも分かるカレンダーは
ここまで細かく作られている
教会の中をぐるっと見学していくと、祭壇の後ろ手のほうに、割れた大きな鐘が展示してあります。これは第二次世界大戦時に爆弾が市に落とされたときに、教会の屋根が焼け落ちて落下した鐘で、今でも壊れた形そのままに、戦争への戒めとしておかれています。
戦争時の記録。1508年に作られた教会最古の鐘
さて、いかがでしたでしょうか。
マリエン教会を見学されるときは、前もって勉強していくとより理解できて楽しいです。
この記事を読めばばっちりとは行かないまでも、大分勉強できると思いますよ。
次回もまた教会を紹介しますね~
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今年も後わずかとなりました。
今夏は友人が来独し、その準備のためにブログも休止していたため、掲載途中だったハンブルグとリューベックの旅行記が頓挫してしまいましたが、やっぱり年越しをさせるのはどうかと思うので、一気に書いてしまいます。
ということで、突然リューベックの話です。
過去記事はカテゴリー「旅行記 ハンブルグとリューベック」からどうぞ。
北ドイツは建築様式が他の地域と大分違い、黒レンガを使った建物が目を引きます。
前回記事から大分時間がたってしまっているので、もう一度黒レンガの説明をしますと、
北ドイツでは黒いレンガが建物の装飾としてよく使われていますが、これは炭を混ぜた高級レンガです。裕福な家の建物にはこの黒レンガがたくさん装飾として使われており、黒レンガは富の象徴でた。
リューベックは昔貿易で非常に潤っていたため、町のあちこちに黒レンガ造りの建物が見られます。
町を歩けば、昔の栄華を見ることの出来る黒レンガ造りを実に来たたくさんの観光客を見かけますが、中心から少し離れると現在のリューベックを見ることも出来ます。
Wikipedia にはもっときれいな写真があるので、下にもって来ました。
天気がいいと、ましな写真が撮れますね。
次回はリューベックの教会をご紹介します。
今夏は友人が来独し、その準備のためにブログも休止していたため、掲載途中だったハンブルグとリューベックの旅行記が頓挫してしまいましたが、やっぱり年越しをさせるのはどうかと思うので、一気に書いてしまいます。
ということで、突然リューベックの話です。
過去記事はカテゴリー「旅行記 ハンブルグとリューベック」からどうぞ。
北ドイツは建築様式が他の地域と大分違い、黒レンガを使った建物が目を引きます。
前回記事から大分時間がたってしまっているので、もう一度黒レンガの説明をしますと、
北ドイツでは黒いレンガが建物の装飾としてよく使われていますが、これは炭を混ぜた高級レンガです。裕福な家の建物にはこの黒レンガがたくさん装飾として使われており、黒レンガは富の象徴でた。
リューベックは昔貿易で非常に潤っていたため、町のあちこちに黒レンガ造りの建物が見られます。
市内中央部分に立つ、昔の商人たちの家
ドイツ最古の出版社
リューベックの繁華街
1804年建造の学校
町を歩けば、昔の栄華を見ることの出来る黒レンガ造りを実に来たたくさんの観光客を見かけますが、中心から少し離れると現在のリューベックを見ることも出来ます。
レンガ造りだけどモダンな雰囲気の建物
町を囲む川に繋がれたヨット
Wikipedia にはもっときれいな写真があるので、下にもって来ました。
天気がいいと、ましな写真が撮れますね。
空から見たホルスタイン門(Wikipedia より)
河畔に立つレンガ造りの建物(Wikipedia より)
次回はリューベックの教会をご紹介します。
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マンモグラフィーに引っかかって、はるばるヴルツブルグまでやってきました(詳しくは「生検初体験」をお読みください)が、検査を終えたからとすぐに帰ってはもったいない。
なんせ22ユーロ(バイエルンチケット一人用)も払って来てますからね。
普通運賃は片道で22ユーロだったんですよ。
バイエルンチケットなら1日どれだけ乗っても22ユーロなので助かる。
注)バイエルンチケットには1人用から5人用まで、5種類のチケットがあります。
詳しくはドイツ国鉄の説明ページを読んでください。
バイエルンチケット
せっかくなので、元を取るためにヴルツブルグのクリスマスマーケットを見ていくことにしました。お天気はあいにくの曇りだけど、雨が降らない分だけ良しとしましょう。
マルクトプラッツにずらりと並んだお店には、平日のお昼でもお客さんがたくさん来ています。日本人ツアーの団体さんがちょうど見学に来ていたので、チラッと日本語も聞こえてました。
クリスマスマーケットを見た後は、ちょっと観光客みたいに歩いてみました。
町の中を流れるマイン川を渡ると、岡の上にある要塞に行けますが、そんな時間はないので橋の真ん中まで歩いたらおしまい。
さっきクリスマスマーケットにいた日本人ツアーの人たちが橋の上でガイドさんの説明を聞き、その後はそれぞれ記念写真を撮ってました。
ここは観光客が多く、アジア人もたくさん来るので、私も観光客だと思われたでしょうね。
まあ、プチ観光してるわけだけどね。
ところで、この橋の上で面白い物を見つけました。
上の写真の左側に見える、橋の上の像なんですけど・・・
ぶはははは!
ヴルツブルグは大学の町なので、学生の誰かがやったのかも。
むっちゃ受ける~
橋を真ん中まで行って戻ってくると、向こうにドームが見えます。
アドベントだから教会の中も飾ってあるかもと思い、見学して見ることにしました。
もっと何か飾ってあるのかと思ったら、天井からアドベントクランツが吊り下がってるだけだった。
クリスマスになったら、キリストが生まれた馬小屋の模型が置かれると思うけど、アドベントの間はクランツ(リース)だけなのね。
この教会も天井からアドベントクランツが吊り下げられてたけど、それよりも面白かったのが壁にかかっている絵画。
建物自体はバロックで、天井の絵画もぴったり合っているのに、壁の上にかけられている絵画が印象画でバランスが崩れているんですよ。
あえてこの絵を持ってきた人は勇気あるね~
この後、C&Aに寄ってバーゲン商品を買いあさってましたが、そろそろ家に帰る電車が出発する時間になってきました。
麻酔が切れてきたようで、ぶっとい針で細胞を取られた後の傷も痛み始めてきた。
また2時間の電車の旅なので、本当はマクドナルドで何か買って電車に乗ろうと思ってたのに、買い物の会計の順番待ちでギリギリになってしまい、慌てて16時の電車に乗り込みました。
あ~あ、13時過ぎにお昼ご飯を食べてからは何も食べてないのに、辛いぞ~
家に帰ってから何を最初にしたかは、もちろん分かるよね?
なんせ22ユーロ(バイエルンチケット一人用)も払って来てますからね。
普通運賃は片道で22ユーロだったんですよ。
バイエルンチケットなら1日どれだけ乗っても22ユーロなので助かる。
注)バイエルンチケットには1人用から5人用まで、5種類のチケットがあります。
詳しくはドイツ国鉄の説明ページを読んでください。
バイエルンチケット
せっかくなので、元を取るためにヴルツブルグのクリスマスマーケットを見ていくことにしました。お天気はあいにくの曇りだけど、雨が降らない分だけ良しとしましょう。
マルクトプラッツにずらりと並んだお店には、平日のお昼でもお客さんがたくさん来ています。日本人ツアーの団体さんがちょうど見学に来ていたので、チラッと日本語も聞こえてました。
マルクトプラッツにある教会横に並ぶお店
夜になればもっと賑やかになるはず
お店の屋根にいるトナカイの背景にある建物の窓もクリスマスの装飾が
何を売っているのか屋根を見りゃ分かる
最近はドイツ各地のクリスマスマーケットに登場する、ローテンブルグの有名なケーテ
お店の前の看板エビ。相当古いようで、ハサミと尻尾が壊れてる
クリスマスマーケットを見た後は、ちょっと観光客みたいに歩いてみました。
町の中を流れるマイン川を渡ると、岡の上にある要塞に行けますが、そんな時間はないので橋の真ん中まで歩いたらおしまい。
観光客でにぎわう橋の上。向こうに見えるのが要塞
日本人観光客も来てます。向こうが旧市街
さっきクリスマスマーケットにいた日本人ツアーの人たちが橋の上でガイドさんの説明を聞き、その後はそれぞれ記念写真を撮ってました。
ここは観光客が多く、アジア人もたくさん来るので、私も観光客だと思われたでしょうね。
まあ、プチ観光してるわけだけどね。
ところで、この橋の上で面白い物を見つけました。
上の写真の左側に見える、橋の上の像なんですけど・・・
誰かにビール瓶を持たされていた(笑)
ぶはははは!
ヴルツブルグは大学の町なので、学生の誰かがやったのかも。
むっちゃ受ける~
橋を真ん中まで行って戻ってくると、向こうにドームが見えます。
アドベントだから教会の中も飾ってあるかもと思い、見学して見ることにしました。
クリスマスの飾りが賑やかな通りにそびえ立つドーム
修復された白い壁に映える立派なパイプオルガンと、壁に立つ古いレリーフ
きらびやかな祭壇の奥にアドベントクランツが吊り下がってる
十字架のフォームに建てられた教会のサイド部分
もっと何か飾ってあるのかと思ったら、天井からアドベントクランツが吊り下がってるだけだった。
クリスマスになったら、キリストが生まれた馬小屋の模型が置かれると思うけど、アドベントの間はクランツ(リース)だけなのね。
ドームの隣にあるノイミュンスター教会
この教会も天井からアドベントクランツが吊り下げられてたけど、それよりも面白かったのが壁にかかっている絵画。
建物自体はバロックで、天井の絵画もぴったり合っているのに、壁の上にかけられている絵画が印象画でバランスが崩れているんですよ。
あえてこの絵を持ってきた人は勇気あるね~
この後、C&Aに寄ってバーゲン商品を買いあさってましたが、そろそろ家に帰る電車が出発する時間になってきました。
麻酔が切れてきたようで、ぶっとい針で細胞を取られた後の傷も痛み始めてきた。
また2時間の電車の旅なので、本当はマクドナルドで何か買って電車に乗ろうと思ってたのに、買い物の会計の順番待ちでギリギリになってしまい、慌てて16時の電車に乗り込みました。
あ~あ、13時過ぎにお昼ご飯を食べてからは何も食べてないのに、辛いぞ~
家に帰ってから何を最初にしたかは、もちろん分かるよね?
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ドイツでは女性の病死No.1が乳がんです。
そのため、50歳以上の女性は2年に一度マンモグラフィー検査を受けることが奨励されており、その費用を国が持ってくれます。
そんな制度があることを全然知らなくても、検査適齢期になれば婦人科の先生が教えてくれるので、聞いてみてください。
全然定期検査に行かない人はわからないじゃない、とお思いのあなた。
ドイツでは癌にかかる人がすごく多いですし、乳がんや卵巣癌以外にも婦人特有の病気もあるので、1年に一度は検査に行った方がいいです。
特に、癌は症状のない病気で、痛みや症状が出た時にはすでに遅すぎるんですから。
私も婦人科の先生に「案内状は来ましたか?」と聞かれて、初めてそういう制度があるのを知りました。
案内状は来ていませんでしたが、先生がマンモグラフィーセンターの電話番号を教えてくれたので、最初は自分で予約を取って検査に行きました。
それからは毎回案内状が届き、今年も検査に行ってきました。
普段は検査の1週間後に来る診断書に「問題なし」と書かれているのですが、今回は影が見つかり、さらなる検査のために、電車で2時間もかかるヴルツブルグまで自費招待されてしまったので、仕方なく行ってきました。
マンモグラフィーの診断をする専門の先生の医院ではすでに何人かが待合室にいて、私のあとにも数人やってきましたが、なぜか全員夫同伴。
一人で来ているのは私だけ。
みんな癌の疑いがあるから来てるんだけど、どうして全員夫同伴なの?
車で来れるくらい近いから?
それとも、遠いから?
でも、中には仕事を休んで来た人もいるんじゃないかしら・・・
う~ん、あの人たちは病院に入院するときも旦那さんについてきてもらうんだろうなあ。
私なんか、数年前に手術のために入院した時は、一人でバスに乗って行ったのに・・・・・・
奥さんを病院に連れて行くために、仕事を休むことなんてしないっすよ、うちのダンナは。
まあ、それは横に置いといて、向こうではまず超音波検査がされました。
その画面に出てきたのはMammayste (乳腺のう胞)。
これはホルモンのバランスが崩れて起こる症状で、更年期障害期に現れるようです。
マンモグラフィーで発見された影は、何でもとにかく再検査してから、診断するんですね。
乳腺のう胞は放っておいてもそのうち消えてなくなってしまうので、治療は不要なのですが、たまに悪性腫瘍が隠れていることがあるので念をいれているわけね。
超音波検査でいくつかののう胞が見つかり、他にもあるかどうか探していると、今度は少し大きなのう胞を発見。
その形がちょっと複雑だったため、念のために細胞検査をすることになりました。
で、そのまま続けるのではなく、麻酔アレルギーがないかどうかとかの質問表に記入しろといわれたので、いったん待合室に戻ります。
質問表を書いて提出している間も、患者さんが入れ替わっていき、しばらくはボーっと待つしかなかったけど、やっと順番が回ってきたので再度診察室へ。
そこで見たのは、注射を30倍くらい大きくして、全てを金属にしたような形をした機器でした。
これはVakuumbiopsie (真空補助生検器)といって、ぶっとい針を体に刺し、真空にするときの勢いを利用して細胞を吸い込む機器。
実際に先生がどうやったかと言うと、まず局所麻酔をし、その後で真空補助生検器を勢いよくぶっ刺すんです。
その後超音波検査器で患部を見ながら針を患部にもって行きます。
そして患者に「ちょっと大きな音がしますよ」と警告してからスイッチを入れると・・・
ブボッ!
とすごい音がして、ちょっとした衝撃が体の中に走りました。
麻酔が効いているから痛みはないけど、細胞が吸いだされるときの瞬間はちょっとどきっとしますよ~
これを三回もされました。
結構大きな音なので、待合室にもよく聞こえたんじゃないかしら。
みんな、最初の音にはギョッとしたかもね(苦笑)
三回目の生検が終わった後は、ガーゼと絆創膏で傷口を止血してもらって全て終了。
しかし・・・・・・
細胞を三回にわたり吸い取られてしまったので、乳房の形がいびつになってしまっている
それに、細胞をとられた分だけ小さくなってる。
健康のためとはいえ、犠牲はちょい大きいなあ・・・
注)翌日にはフォームは元に戻りましたが、大きさはそのままです。
さて、検査結果は1週間後にかかりつけの家庭医と婦人科医に送られるということでした。
そして、今は検査から1週間が経った頃です。
検査の結果はすでにかかりつけの医者に届いているはずだけど、予約は来週にしかもらえなかったので、正式な検査結果を聞くのはそれまでお預け。
でも、先生が生検終了後に「悪い物じゃないですね」と言っていたので、心配することもないようですよ
そのため、50歳以上の女性は2年に一度マンモグラフィー検査を受けることが奨励されており、その費用を国が持ってくれます。
そんな制度があることを全然知らなくても、検査適齢期になれば婦人科の先生が教えてくれるので、聞いてみてください。
全然定期検査に行かない人はわからないじゃない、とお思いのあなた。
ドイツでは癌にかかる人がすごく多いですし、乳がんや卵巣癌以外にも婦人特有の病気もあるので、1年に一度は検査に行った方がいいです。
特に、癌は症状のない病気で、痛みや症状が出た時にはすでに遅すぎるんですから。
マンモグラフィー検査(Wikipedia より)
左は正常な、右は乳がんができた乳房(Wikipedia より)
私も婦人科の先生に「案内状は来ましたか?」と聞かれて、初めてそういう制度があるのを知りました。
案内状は来ていませんでしたが、先生がマンモグラフィーセンターの電話番号を教えてくれたので、最初は自分で予約を取って検査に行きました。
それからは毎回案内状が届き、今年も検査に行ってきました。
普段は検査の1週間後に来る診断書に「問題なし」と書かれているのですが、今回は影が見つかり、さらなる検査のために、電車で2時間もかかるヴルツブルグまで自費招待されてしまったので、仕方なく行ってきました。
マンモグラフィーの診断をする専門の先生の医院ではすでに何人かが待合室にいて、私のあとにも数人やってきましたが、なぜか全員夫同伴。
一人で来ているのは私だけ。
みんな癌の疑いがあるから来てるんだけど、どうして全員夫同伴なの?
車で来れるくらい近いから?
それとも、遠いから?
でも、中には仕事を休んで来た人もいるんじゃないかしら・・・
う~ん、あの人たちは病院に入院するときも旦那さんについてきてもらうんだろうなあ。
私なんか、数年前に手術のために入院した時は、一人でバスに乗って行ったのに・・・・・・
奥さんを病院に連れて行くために、仕事を休むことなんてしないっすよ、うちのダンナは。
まあ、それは横に置いといて、向こうではまず超音波検査がされました。
その画面に出てきたのはMammayste (乳腺のう胞)。
これはホルモンのバランスが崩れて起こる症状で、更年期障害期に現れるようです。
超音波検査に現れた乳腺のう胞(Wikipedia より)
マンモグラフィーで発見された影は、何でもとにかく再検査してから、診断するんですね。
乳腺のう胞は放っておいてもそのうち消えてなくなってしまうので、治療は不要なのですが、たまに悪性腫瘍が隠れていることがあるので念をいれているわけね。
超音波検査でいくつかののう胞が見つかり、他にもあるかどうか探していると、今度は少し大きなのう胞を発見。
その形がちょっと複雑だったため、念のために細胞検査をすることになりました。
で、そのまま続けるのではなく、麻酔アレルギーがないかどうかとかの質問表に記入しろといわれたので、いったん待合室に戻ります。
質問表を書いて提出している間も、患者さんが入れ替わっていき、しばらくはボーっと待つしかなかったけど、やっと順番が回ってきたので再度診察室へ。
そこで見たのは、注射を30倍くらい大きくして、全てを金属にしたような形をした機器でした。
これはVakuumbiopsie (真空補助生検器)といって、ぶっとい針を体に刺し、真空にするときの勢いを利用して細胞を吸い込む機器。
実際に先生がどうやったかと言うと、まず局所麻酔をし、その後で真空補助生検器を勢いよくぶっ刺すんです。
その後超音波検査器で患部を見ながら針を患部にもって行きます。
そして患者に「ちょっと大きな音がしますよ」と警告してからスイッチを入れると・・・
ブボッ!
とすごい音がして、ちょっとした衝撃が体の中に走りました。
麻酔が効いているから痛みはないけど、細胞が吸いだされるときの瞬間はちょっとどきっとしますよ~
これを三回もされました。
結構大きな音なので、待合室にもよく聞こえたんじゃないかしら。
みんな、最初の音にはギョッとしたかもね(苦笑)
三回目の生検が終わった後は、ガーゼと絆創膏で傷口を止血してもらって全て終了。
しかし・・・・・・
細胞を三回にわたり吸い取られてしまったので、乳房の形がいびつになってしまっている
それに、細胞をとられた分だけ小さくなってる。
健康のためとはいえ、犠牲はちょい大きいなあ・・・
注)翌日にはフォームは元に戻りましたが、大きさはそのままです。
さて、検査結果は1週間後にかかりつけの家庭医と婦人科医に送られるということでした。
そして、今は検査から1週間が経った頃です。
検査の結果はすでにかかりつけの医者に届いているはずだけど、予約は来週にしかもらえなかったので、正式な検査結果を聞くのはそれまでお預け。
でも、先生が生検終了後に「悪い物じゃないですね」と言っていたので、心配することもないようですよ
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黒猫 maukie
ゲーム付きMaukie 君をゲットしました。マウスを持って行くとじゃれます(OPERAでは動きません)。下のボタンでゲームに切り替わるので、遊んでいってくださいな。数独からMaukie 君に戻るときはページを更新してください。
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