旅行+生活情報+ドイツ語と、ちょっと言いたい今日のドイツ
2024/11/22 (Fri)
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2009/10/09 (Fri)
トルコ人による犯罪の背景
ドイツではトルコ人の不良グループや犯罪が多いですが、なぜなのかご存知ですか?
その答えの前に、ドイツの外国人労働者の歴史を知る必要があります。
第二次世界大戦が終わったとき、ドイツは戦死者やユダヤ人激減のせいで多くの労働力を失いました。そのために一部の産業では人手不足が深刻となり、また戦後の経済成長期にも入っていたドイツは、1950年代にイタリアなどからGastarbeiter(ゲスト労働者)といわれる外国人労働者を受け入れていました。
1961年にベルリンの壁が作られてから東ドイツの労働力をも失った西ドイツは、経済高度成長期に入っていたこともあり、外国人労働者政策を強化して受け入れ労働者の国も増えていきました。
最初は期限付きで受け入れていた外国人労働者も、やっと仕事を覚えたら新しい人材と交代となって、また一から仕事を教えなくてはならない会社側からの要望が強かったために滞在期間が延ばされ、家族を呼んでドイツに永住する労働者が増えていくことになります。
1960年代から入ってきたトルコ人たちはドイツに落ち着き、家族をドイツに呼び、その人口はぐんぐんと増えていきました。
現在のドイツの外国人比率をみると、トルコ人はトップで70~80%にも及びます。
ドイツの生活はトルコ人には憧れのようで、トルコに行くと時々「ドイツに行きたい」という人に会います。大概は親戚がすでにドイツにおり、行ける可能性のある人ばかりです。
トルコ人はドイツ全国に広がり、中にはトルコ人人口がとても濃いところもあります。私の町の学校でも、半分がトルコ人になるクラスがあるくらいです。
彼らは異教徒であるためと同胞の多さで独自のコミュニティーを作り、自分たちの文化を子供たちに伝えていますが、その閉鎖的な環境のために子供たちに多大なる影響を授けています。
家庭でドイツ語が使われることは皆無で、子供たちはトルコ語だけを聞いて育ちます。ドイツにはトルコ人学校はありませんから皆ドイツの学校に行くわけで、ドイツで生まれてもトルコ語しか知らない子供たちが幼稚園に行き始めると、必ず言葉の壁にぶつかります。
いまだに移民組の多いトルコ人ですから、言葉も分からずに転校してくる子供たちも多く、トルコでは成績の良かった彼らもドイツでは言葉の壁と水準の差に阻まれて、落ちこぼれとなってしまいます。学校では国語であるドイツ語に外国人用の規定を設け、テストの成績もそれを考慮して甘い点数が貰えますが、その他の教科にはそれもないので、急に環境の変わった転校生は成績の低下とともに、心にもその影響を受けることになります。
日本では学校を卒業さえすれば、履歴書に書き込むだけで雇い主はそれ以上問うことはしません。つまり、虚偽の学校卒業記録でも仕事を探すことが可能なわけです。しかし、ドイツでは卒業の証明書は最後の学歴の成績表になるので、その成績表が悪ければ仕事にあるつけるチャンスは無くなってしまいます。
だいぶ以前の話ですが、息子の知り合いのトルコ人のお兄さんが就職活動に100枚もの書類を作って、あちこちに出しまくったことがありました。それだけ出せば、「数打ちゃ当たる」のような気もしますが、すべて不採用。成績が悪ければ仕事をしたくてもできないシステムのドイツでは、彼らの居場所はありません。しかも今は経済も厳しく、ドイツ人でさえ職を失うご時世です。
トルコにそのまま住んでさえすれば非行に走らなかっただろう少年たちは、ドイツでは悪い成績のために仕事を見つけるのも難しく、余計に歪みが大きくなってしまっています。家族のためによりいい生活を求めてドイツに移住したトルコ人たちにとって、ドイツの学校制度は皮肉な結果となってしまいました。
トルコ人移民の増大とともに増えたトルコ人による犯罪には、実はこういう背景があったのです。
最近では学校で無差別殺人をするドイツ人学生の話もよく聞くようになりましたが、彼らも成績などで居場所がなくなってしまった人たちです。
居場所がなくなってしまった彼らがドイツ社会でその存在を認められるようになれば、彼らによる犯罪も減るだろうことは容易に想像することができます。しかし、ドイツ社会が変化することはまず考えられないため、このような不毛な状況は永遠に続くかもしれません。
トルコ人ばかりではなくドイツ人の犯罪も増えている現在、弱者も認められるような場所や機会ができて、犯罪防止の役に立つといいのですが・・・・・・
その答えの前に、ドイツの外国人労働者の歴史を知る必要があります。
第二次世界大戦が終わったとき、ドイツは戦死者やユダヤ人激減のせいで多くの労働力を失いました。そのために一部の産業では人手不足が深刻となり、また戦後の経済成長期にも入っていたドイツは、1950年代にイタリアなどからGastarbeiter(ゲスト労働者)といわれる外国人労働者を受け入れていました。
1961年にベルリンの壁が作られてから東ドイツの労働力をも失った西ドイツは、経済高度成長期に入っていたこともあり、外国人労働者政策を強化して受け入れ労働者の国も増えていきました。
最初は期限付きで受け入れていた外国人労働者も、やっと仕事を覚えたら新しい人材と交代となって、また一から仕事を教えなくてはならない会社側からの要望が強かったために滞在期間が延ばされ、家族を呼んでドイツに永住する労働者が増えていくことになります。
1960年代から入ってきたトルコ人たちはドイツに落ち着き、家族をドイツに呼び、その人口はぐんぐんと増えていきました。
現在のドイツの外国人比率をみると、トルコ人はトップで70~80%にも及びます。
ドイツの生活はトルコ人には憧れのようで、トルコに行くと時々「ドイツに行きたい」という人に会います。大概は親戚がすでにドイツにおり、行ける可能性のある人ばかりです。
トルコ人はドイツ全国に広がり、中にはトルコ人人口がとても濃いところもあります。私の町の学校でも、半分がトルコ人になるクラスがあるくらいです。
彼らは異教徒であるためと同胞の多さで独自のコミュニティーを作り、自分たちの文化を子供たちに伝えていますが、その閉鎖的な環境のために子供たちに多大なる影響を授けています。
家庭でドイツ語が使われることは皆無で、子供たちはトルコ語だけを聞いて育ちます。ドイツにはトルコ人学校はありませんから皆ドイツの学校に行くわけで、ドイツで生まれてもトルコ語しか知らない子供たちが幼稚園に行き始めると、必ず言葉の壁にぶつかります。
いまだに移民組の多いトルコ人ですから、言葉も分からずに転校してくる子供たちも多く、トルコでは成績の良かった彼らもドイツでは言葉の壁と水準の差に阻まれて、落ちこぼれとなってしまいます。学校では国語であるドイツ語に外国人用の規定を設け、テストの成績もそれを考慮して甘い点数が貰えますが、その他の教科にはそれもないので、急に環境の変わった転校生は成績の低下とともに、心にもその影響を受けることになります。
日本では学校を卒業さえすれば、履歴書に書き込むだけで雇い主はそれ以上問うことはしません。つまり、虚偽の学校卒業記録でも仕事を探すことが可能なわけです。しかし、ドイツでは卒業の証明書は最後の学歴の成績表になるので、その成績表が悪ければ仕事にあるつけるチャンスは無くなってしまいます。
だいぶ以前の話ですが、息子の知り合いのトルコ人のお兄さんが就職活動に100枚もの書類を作って、あちこちに出しまくったことがありました。それだけ出せば、「数打ちゃ当たる」のような気もしますが、すべて不採用。成績が悪ければ仕事をしたくてもできないシステムのドイツでは、彼らの居場所はありません。しかも今は経済も厳しく、ドイツ人でさえ職を失うご時世です。
トルコにそのまま住んでさえすれば非行に走らなかっただろう少年たちは、ドイツでは悪い成績のために仕事を見つけるのも難しく、余計に歪みが大きくなってしまっています。家族のためによりいい生活を求めてドイツに移住したトルコ人たちにとって、ドイツの学校制度は皮肉な結果となってしまいました。
トルコ人移民の増大とともに増えたトルコ人による犯罪には、実はこういう背景があったのです。
最近では学校で無差別殺人をするドイツ人学生の話もよく聞くようになりましたが、彼らも成績などで居場所がなくなってしまった人たちです。
居場所がなくなってしまった彼らがドイツ社会でその存在を認められるようになれば、彼らによる犯罪も減るだろうことは容易に想像することができます。しかし、ドイツ社会が変化することはまず考えられないため、このような不毛な状況は永遠に続くかもしれません。
トルコ人ばかりではなくドイツ人の犯罪も増えている現在、弱者も認められるような場所や機会ができて、犯罪防止の役に立つといいのですが・・・・・・
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無題
家族のため、生活のため希望を託してドイツに来たものの、異国でも自分たちの世界を守りすぎ、もっとドイツや地域になじんでいく生活はできなかったのかしら・・・とちょっと思ったりして・・・。日本人だと外国でも真面目に語学を勉強したり、何らかの習い事をしたりして溶け込む努力をして行く人が多いように感じましたけどね・・・。
今更さらトルコに帰って第二の人生をやりなおす(?)っていう選択も難しいだろうし・・・。
ラーダ・ドゥーナさんへ
いわば、私が帰国したら全てが高すぎて、けちけち生活しかできないのと同じではないかと。
彼らはたいてい金欠病で、その上父親が失業している家庭がたくさんあります。林間学校にも資金繰りができなくて、子供を参加させられない家庭がたくさんありまして、その人達のために学校からの援助があるくらいです。
息子の友人によると、トルコ人はいつも借金してるそうです。息子が貸したお金なんか、忘れたころに帰ってきたりしました。でも、踏み倒しはなかったですよ。
ドイツで生まれたトルコ人の子供の中には高学歴な子供もいますが、その子供は環境にも恵まれ、運がよかったのかもしれません。
大きくなった子供たちの中にはトルコに帰る人もいます。しかし、ドイツで財を築くためにやってきた人たちは、そう簡単には挫折しないみたいです。
ドイツにはトルコでは考えられないくらい素晴らしい福祉政策があるのも、影響してるかもしれません。
自力で生活できなくなったらドイツ政府が、部屋代や食費など全部払ってくれますから、帰る気にならないと思いますよ。
無題
わたしは、犯罪以外の全ての思念を肯定する者です。
立場が変われば、正義も真実も変わる。
プライドや信念を打ち砕かれれば、人は自身を貫くことができなくなる。
急進派や犯罪に走る人の率は、どこでもほぼ同じ。表面化するかしないかのだけの話。
………これらは万国共通であり、他者が簡単に善悪の判断をつけらるることでもなく。
馴染む努力……うむ。しない彼らの気持ちが、なんとなくわかります。わたしは江戸っ子であることをけしてやめないタイプですから。あはは。(だから他所に住むべき人間ではないとも思います)移住を決めたのは親の世代であって、彼らではない……と、ここで気づく。在日の問題と、なんら変わらないことに。権利と義務が曖昧な中で在日特権だけがあるのと全く同じ……。最後まで続いた日独同盟。国民性としての思考は、ドイツと日本は実によく似ていますね。論理的で勤勉なのに、火がつくと止まらないところも。親切なのに排他的なところも。
どの国にもいい人もいる、悪い人もいる、利口も莫迦もいる、莫迦の方が声が大きい。それだけのことだと思います。自分の国が一番好き……それは当然でシアワセな思考です。その中で、自分はどうあるか、どう動くか、ですね。相手もまたそうであるということは失念してはならないし。有事に突入してしまったら、個としての脳みそは働かなくなる。その時、怨念や復讐の念に火をつけないためにも……「嫌い」という言葉は、どなたにも使わないでいて欲しいと思います。嫌いと言われても尚好意を持つ人はいないのですから。
因みに、在日の方、諸外国の方から祖父がB級であることでわたし自身が誹りを受けても嫌われても、正面から頭を垂れるのみです。祖父が、戦争を加速させていった側にいたのは事実です。祖父がいなければ、わたしは、いない。誠心誠意、本心から頭を下げ、それから、当時の日本と思想の流れについて語ります。客観的に、論理的に、体系的に。
オナモミさんへ
ドイツ人も、A級戦犯を親に持つのと同じ枷を負っています。ドイツ人が法王に決まった時も、喧々囂々だったのを覚えていらっしゃると思います。ドイツ人にとっては、親がただの市民だったとしても、あの事実は暗い過去です。あちこちでユダヤ人への弾圧があり、それに手を貸した人もたくさんいたでしょうから。私たちも日本人ということで非難されることがあると思いますが、オナモミさんの態度を見習いたいと思います。
どこの国にも過激派はいます。日本にも赤軍派がいましたものね。
グアテマラでレジスタンスと政府軍の打ち合う音を聞いたこともありますし、エルサルバドルでレジスタンスに軍の車が襲撃された直後、弾痕の後も生々しい現場を通りかかったこともあります(なんとすさまじい経験ですこと!)
それぞれの主張はそれぞれにとって正義。ナチスの主張に賛同した人もいれば、レジスタントとなってヒットラーを暗殺しようとした人もいる。最初にアメリカがムスリムのテリトリーを深く犯さなければ、もしかしたら現在のテロもなかったかもしれない。
やればやり返す、殺されれば殺し返すの泥試合を繰り返しているイスラエルとパレスチナ。憎しみが何を生み出すかのいい見本です。異文化間の対立が出てくることもあるでしょうが、テロには反対の人同士が平和に関して共鳴できるなら、その輪を広げていくべきだと思います。
しかし、その前に大事なのは先入観をなくすこと。オナモミさんもそう思われているのでは?
差別問題は、親が差別した相手は「差別すべき人間なんだ」と子供も思ってしまうことで広がって行きます。そういう先入観を子供に植え付けない、自分でもそういう考え方をしない。それが大切なんですよね。
イスラム社会の女性の待遇についても、本人が満足しているなら他人がとやかく言うものではないと思いますが、実際にその境遇から脱出しようとしている女性がいることと、すでに自由になった我々には可哀そうな境遇に見えてしまうのは、弁解しておきます。
南米出身のクラスメイト(♂)
Tamaの同僚のイタリア人にも、戦後家族でドイツに移民して来たという人がいます。『ニュー・シネマ・パラダイス』の一場面を連想してしまいました。
移民して来る人たちの苦労は、私が想像するよりも大変なのでしょうが、バスの中でその移民系の悪ガキになんちゃって中国語みたいな言葉を浴びせられながら、ポップコーンを投げられた経験があるので、正直良い印象は持てません。(-_-;) 勿論、それがどこの国からの移民して来た悪ガキだったのかは分かりませんけどね。ドイツで肩身の狭い思いをしているストレスは理解出来なくもありませんが、そんなんでストレス発散の材料にされては溜まりません・・・
Noraさんへ
ドイツでは外国人が仕事を見つけるのは大変ですよ。職業学校に行ってドイツでの資格を取らないと、いい仕事はないです。英国なんて、そんなのなくても仕事は見つかるんですが、ドイツは特にややこしいシステムになっていて、学生にとっても就職口を探すのは大変です。
私は室内プールに来るドイツ人のガキに、中国語をまねた言葉を言われましたよ。昔はトルコ人グループが悪さをするのが多かったんですが、最近はドイツ人の子供も相当の悪です。しつこく私に絡んで私を馬鹿にしていましたが、そんなもんこの私に通用するはずがない!
昔はトルコ人の子供たちを叱り飛ばして、一目置かれてたおばさんですからね、そのガキンチョもそのうちおとなしくなりましたよ。ほほほほほ
中国語みたいな言葉を投げかけてくるのは馬鹿にしている証拠ですが、私はいつも言ってやります。「中国人じゃないわよ」
そこでたいていみんな「へ?」という顔をしますね(笑)
移民の子供たちは、弱者である自分たちより弱いものを苛めるんだと思います。アジア人はみな同じに見えるから、タイ女性に間違われることもあり得ますし。
そういう輩は危険分子もいますので、気を付けてくださいね。怖そうでなかったら、私は思いっきり睨みつけてやります。目から光線がピピピっと出てノックダウン!になるといいんですがね(^^;)
無題
Tomimaruさんへ
ドイツに1世として移民してくるトルコ人はまだまだ多いですし、長年慣れ親しんだ習慣は宗教の教えもあって、正反対であるキリスト教世界ではまだまだ閉鎖的ですが、確実に変化は進行してると思います。
現在でも学校の成績がドイツ人よりいい子はすでに出てきていますし、世代が変わるに従ってそういう子どもは増えていくでしょうね。
もともと彼らは出稼ぎにきたわけで、決して怠け者ではないですし、世代の交代とともに変わっていく環境とともに、現在の状況もゆっくりと変化していくんじゃないかと思ってます。
無題
一生懸命働く姿とドイツ政府に甘えてる姿。
前者は、トルコ系スーパーなんかに行くと
夜遅くまで「いらっしゃい~」と声を張り上げて
まじめに働いてるのがよくわかる。
かったるそうに仕事しているドイツ人の店員とは意欲が違うように感じます。
後者は、VHSでのトルコ人の評判がすこぶる悪いこと。
政府援助のおかげで、無料で授業を受けられるものだから、まったくやる気がないのだとか。
授業中にトルコ語で私語が飛び交い、宿題もやらない。
お金を支払って授業に参加してる人には迷惑でしかないという話を頻繁に耳にします。
前者と後者は矛盾しているように感じますが、どちらも彼らの姿なんですね。
どちらにしろ、トルコ人街を形成して閉鎖的な生活をしている間は、ドイツ人に受け入れられるのは難しいように思います。
ずっとドイツで暮らしていくつもりなら、自分も子供もドイツ語を修得する努力も必要だし、困ったら政府が援助してくれるという考え方では、それなりの職について、自立することも難しいままでしょう。
熊子さんへ
評判の悪い人たちは、ドイツ語コースに行かなければ失業保険金がもらえないから行っているだけで、ドイツ語なしでも生活できると思っているのでしょう。
確かに彼らは、もっと努力することを学ばないといけませんね。
私の行っていたVHSにもトルコ人が来ていましたが、彼らは自腹でお金を払っていましたから、ちゃんと勉強していました。
学校でもドイツ語や算数ができない子供のために特別授業があり、ボランティアでトルコ人の子供にドイツ語を教えている先生もいらっしゃいます。そういう機会を利用して、子供にドイツ語を勉強させている親御さんもいます。
どこにでも馬鹿はいますが、努力をしている人たちの足を引っ張らないでほしいですね。
ところで話題は変わるのですが、トルコでは1925年から、学生も先生も学校や大学では時間になってもお祈りをしてはいけないし、スカーフも着用禁止なんですって!
学校の中には密かに祈りの部屋を作ったところがあったみたいですけど、発覚してからは使えなくなったそうです。これは法律にはなっていませんが、トルコが公共の建物からの宗教の追放を定めているからだそう。
ドイツでは学校に祈りの部屋を作るように裁判所が判決を出しましたが、本国では禁止だったとは!
興味深いですので、サイトアドレスを添えておきます。
http://www.tagesspiegel.de/berlin/art270,2501172
無題
トルコ国内ではスカーフ禁止になっていることは以前から知っていましたが、それならば何故ドイツで被るのか不思議に思ってました。
そういえば、ドイツで女児に学校の水泳授業を受けさせたくないとかどうのこうので裁判になっていましたね。
ドイツ在住のトルコ人の方が信仰が厚いのか、果ては、閉鎖的なトルコ人社会の中にどっぷりと浸かっていることが影響があるのか、いずれにしろ、真夏にあの格好はどう見ても暑そうです
熊子さんへ
でも、向こうでも学校が隠れて祈りの部屋を作るくらいだから、本当はスカーフをかぶりたいができない、という人が多いのかもしれませんよ。
宗教の僧侶はスカーフをしろと言っているし、ドイツではトルコのような規制がなくて、学校でもかぶっていいからそうしてるのかも。
この間テレビでイスラム女性が、「スカーフは自分にとってとても大事なものだ」と言っていました。そこらへんから、どこでもスカーフをしたい人がいるのかもしれませんよ。