旅行+生活情報+ドイツ語と、ちょっと言いたい今日のドイツ
カテゴリー「旅行記 カッパドキア」の記事一覧
- 2025.01.22 [PR]
- 2012.06.28 カッパドキア‐‐‐ゼルベ野外博物館
- 2012.06.18 カッパドキア‐-‐デリンクユの地下都市
- 2012.06.16 カッパドキア‐‐‐ギョレメからのバスの時刻表
- 2012.06.09 カッパドキア‐‐‐ギョレメの風景
- 2012.06.05 おまけ‐‐‐トルコのお菓子
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(拍手のコメントにはカテゴリー「拍手へのお返事」でお返事を書いています)
Zelve (ゼルベ)はギョレメの北方10kmの谷に位置しており、ギョレメ野外博物館と並んで貴重な博物館です。
全ての住居が岩窟住居で、実際に人が住んだ村として存在していましたが、地震や浸食によって住居にしていた岩が何度も崩れ、死傷者が出たために村民は移住を決意し、1953年に最後の住民が新しくできた村に移住してからは廃墟となりました。
1967年にここが野外博物館にされました。
ギョレメ野外博物館は教会と修道院跡でしたが、ゼルベは実際に使われていた住居跡なので、興味深いものを見ることができます。
地図を下に持ってきました。
ソースはOpen StreetMap です。
地名を書き込んだので、クリックして拡大して見てください。
私たちはギョレメからチャブシンを経由して、パシャバーへのトレッキングルートを歩きました。
道路を歩くと遠回りになるので、徒歩で行く場合はこのトレッキングルートをお勧めします。
バスで行く場合は、ギョレメからアバノス行きのバスに乗り、ジャンクションで降りてから2km歩きます。
風景を見ながらのトレッキングは楽しいですが、結構距離があるので、体力のない方はバスで行ったほうが無難です。
途中に妖精の煙突で有名なパシャバーを見学すれば、歩くのもそんなに苦にはならないでしょう。パシャバーは次回に案内しますね。
入場料金は8リラと安めです。
3つの谷を含む広い地域なので、見学には2時間くらい見ておいた方がいいです。
ゼルベ野外博物館の入り口
ゼルベは廃村になった場所なので、周りには何もありません。
博物館入口にレストランやお土産屋さんが数件あるだけです。
公衆トイレが一つありますが、女性の方は十分注意してください。
トイレ自体はきれいなもので問題はないのですが、料金を徴収している男性は曲者です。
ろうあ者で話すことができないようなのですが、この男、どうやら変態男らしい。
女性がトイレに入った後、少し時間を置いてからトイレのドアを開けるんです。
トイレに来る人が少ないので、うっかりドアをロックするのを忘れると、突然変態男がドアを開けて顔を出し、ドアをロックするようにと身振りで教えます。
注意なら自分が外で見張っていればいいのに、どうして女性が入っているドアをわざわざ開けなきゃならんのだ?
魂胆があるとしか思えないです。
よくやっているようで、怒り心頭に達している女性を他にも見かけました。
もし変態男が何かをやらかしたら、絶対諦めてはいけません。
思いっきり大声で罵倒しましょう。
この男はふてぶてしくも、トイレの料金を請求してきますから。
ゼルベにはÜrgüp (ウルギュップ)から来るバスが博物館入口に止まります。
ということは、ウルギュップに宿泊している人はバスでゼルベまで直接来ることができます。
このバスはギョレメを経てまたウルギュップに帰る循環ルートを走っているので、ゼルベの見学が終わったらバスに乗って帰ると楽ちんです。
ゼルベは3つの谷の岩壁にびっしりと岩窟住居が掘られています。
村民が使っていた道の他に、博物館が装備した遊歩道が各住居跡を繋いでいるので歩きやすいです。
あちこちに岩壁が崩れた跡があり、部屋の中がむき出しになった住居がたくさんあります。
ギョレメでたくさんの韓国人を見かけましたが、ここにも韓国人が来ていました。
北側の岩壁
あちこちに崩れた大きな岩が転がっている
崩れた岩があちこちにごろごろ転がっていて、岩壁が崩れて大きな穴をあけている住居もあります。
死傷者の出た事故は、人が集まっていた教会で起こりました。
廃墟になった後も岩壁の崩壊は続き、立ち入り禁止になっている場所が数か所あります。
向こうの大きな穴は教会跡
岩が崩れてぽっかり大きな穴が開いた住居跡。立ち入り禁止になっている
ここも崩れた跡があるけど、中に入れる
住居は4階~5階建てになっていて、岩の中にたくさん部屋があるようです。
奥の部屋はもちろん窓なんかないから、ろうそくで灯りを取っていたんでしょうね。
この場所は実際に50年前まで使われていたわけですが、電気は来ていたのかしら?
水道だってなければ困ると思うけど、どこにもそれらしき跡を見かけなかった。
冬は雪が降ることもあるから、窓もせめて木の扉で閉められるようになってないと寒いはずだけど、どの住居跡を見ても、ただの洞窟。
廃墟になって50年以上も経っているから、文明の後も消えてしまったのかもしれませんね。
教会跡。下の入り口の上にはフレスコ画が描かれている
教会の中。壁にレリーフが施され、天井には十字架が見える。
住居跡。大きな石臼が2階にあるけど、どうやって持っていたんだろう?
粉ひき場
1階にある台所。地面にある穴はかまど。ススで天井は真っ黒
実際に使われていたらしい住居跡。壁に棚が掘られ、2階への階段も岩に刻まれている
垂直に掘られた2階への階段
カッパドキアにある岩窟住居は、どこも3階や4階があります。
ということは、岩の中に階段や通路が作られているはずです。
ゼルベは実際に50年前まで人が住んでいたので、こういう階段跡もはっきり残っているのが興味深い所です。
垂直な壁に足場が掘られただけのところは無理だけど、ある住居跡に私でも登れる階段があったので試してみました。
大きな住居にあった階段はスロープもゆったりしていて簡単に登れるけど、小さい住居では傾斜もきつく、登りにくかったです。
登りやすい階段だけど、上階は部屋が崩れてむき出しになっている
岩に刻まれたきつい階段を上ったところ。部屋は崩壊してしまった模様
この他にも、あちこちに大昔の階段が見られました。
浸食や崩壊で、今では登ることは不可能ですが、岩に垂直に刻まれたものが多いです。
スロープが付けられないから垂直なんだろけど登るのに苦労しなかったんですかねえ・・・
上階へ伸びる垂直な足がかり
つま先しか使えなさそうな足がかり
岩が崩れてむき出しになった通路
ただ洞穴を見るだけならカッパドキアにはいくらでもありますが、住居の中の階段を登れるところはここくらいかも。
実際に使われていただけあって、大昔の廃墟とは違った味わいがあります。
ゼルベの手前には有名なパシャバーもあるので、時間がある人は是非見学してみてください。
パシャバーについては次の記事を参考にしてください。
全ての住居が岩窟住居で、実際に人が住んだ村として存在していましたが、地震や浸食によって住居にしていた岩が何度も崩れ、死傷者が出たために村民は移住を決意し、1953年に最後の住民が新しくできた村に移住してからは廃墟となりました。
1967年にここが野外博物館にされました。
ギョレメ野外博物館は教会と修道院跡でしたが、ゼルベは実際に使われていた住居跡なので、興味深いものを見ることができます。
地図を下に持ってきました。
ソースはOpen StreetMap です。
地名を書き込んだので、クリックして拡大して見てください。
私たちはギョレメからチャブシンを経由して、パシャバーへのトレッキングルートを歩きました。
道路を歩くと遠回りになるので、徒歩で行く場合はこのトレッキングルートをお勧めします。
バスで行く場合は、ギョレメからアバノス行きのバスに乗り、ジャンクションで降りてから2km歩きます。
風景を見ながらのトレッキングは楽しいですが、結構距離があるので、体力のない方はバスで行ったほうが無難です。
途中に妖精の煙突で有名なパシャバーを見学すれば、歩くのもそんなに苦にはならないでしょう。パシャバーは次回に案内しますね。
入場料金は8リラと安めです。
3つの谷を含む広い地域なので、見学には2時間くらい見ておいた方がいいです。
ゼルベ野外博物館の入り口
ゼルベは廃村になった場所なので、周りには何もありません。
博物館入口にレストランやお土産屋さんが数件あるだけです。
公衆トイレが一つありますが、女性の方は十分注意してください。
トイレ自体はきれいなもので問題はないのですが、料金を徴収している男性は曲者です。
ろうあ者で話すことができないようなのですが、この男、どうやら変態男らしい。
女性がトイレに入った後、少し時間を置いてからトイレのドアを開けるんです。
トイレに来る人が少ないので、うっかりドアをロックするのを忘れると、突然変態男がドアを開けて顔を出し、ドアをロックするようにと身振りで教えます。
注意なら自分が外で見張っていればいいのに、どうして女性が入っているドアをわざわざ開けなきゃならんのだ?
魂胆があるとしか思えないです。
よくやっているようで、怒り心頭に達している女性を他にも見かけました。
もし変態男が何かをやらかしたら、絶対諦めてはいけません。
思いっきり大声で罵倒しましょう。
この男はふてぶてしくも、トイレの料金を請求してきますから。
ゼルベにはÜrgüp (ウルギュップ)から来るバスが博物館入口に止まります。
ということは、ウルギュップに宿泊している人はバスでゼルベまで直接来ることができます。
このバスはギョレメを経てまたウルギュップに帰る循環ルートを走っているので、ゼルベの見学が終わったらバスに乗って帰ると楽ちんです。
ゼルベは3つの谷の岩壁にびっしりと岩窟住居が掘られています。
村民が使っていた道の他に、博物館が装備した遊歩道が各住居跡を繋いでいるので歩きやすいです。
あちこちに岩壁が崩れた跡があり、部屋の中がむき出しになった住居がたくさんあります。
ギョレメでたくさんの韓国人を見かけましたが、ここにも韓国人が来ていました。
北側の岩壁
あちこちに崩れた大きな岩が転がっている
崩れた岩があちこちにごろごろ転がっていて、岩壁が崩れて大きな穴をあけている住居もあります。
死傷者の出た事故は、人が集まっていた教会で起こりました。
廃墟になった後も岩壁の崩壊は続き、立ち入り禁止になっている場所が数か所あります。
向こうの大きな穴は教会跡
岩が崩れてぽっかり大きな穴が開いた住居跡。立ち入り禁止になっている
ここも崩れた跡があるけど、中に入れる
住居は4階~5階建てになっていて、岩の中にたくさん部屋があるようです。
奥の部屋はもちろん窓なんかないから、ろうそくで灯りを取っていたんでしょうね。
この場所は実際に50年前まで使われていたわけですが、電気は来ていたのかしら?
水道だってなければ困ると思うけど、どこにもそれらしき跡を見かけなかった。
冬は雪が降ることもあるから、窓もせめて木の扉で閉められるようになってないと寒いはずだけど、どの住居跡を見ても、ただの洞窟。
廃墟になって50年以上も経っているから、文明の後も消えてしまったのかもしれませんね。
教会跡。下の入り口の上にはフレスコ画が描かれている
教会の中。壁にレリーフが施され、天井には十字架が見える。
住居跡。大きな石臼が2階にあるけど、どうやって持っていたんだろう?
粉ひき場
1階にある台所。地面にある穴はかまど。ススで天井は真っ黒
実際に使われていたらしい住居跡。壁に棚が掘られ、2階への階段も岩に刻まれている
垂直に掘られた2階への階段
カッパドキアにある岩窟住居は、どこも3階や4階があります。
ということは、岩の中に階段や通路が作られているはずです。
ゼルベは実際に50年前まで人が住んでいたので、こういう階段跡もはっきり残っているのが興味深い所です。
垂直な壁に足場が掘られただけのところは無理だけど、ある住居跡に私でも登れる階段があったので試してみました。
大きな住居にあった階段はスロープもゆったりしていて簡単に登れるけど、小さい住居では傾斜もきつく、登りにくかったです。
登りやすい階段だけど、上階は部屋が崩れてむき出しになっている
岩に刻まれたきつい階段を上ったところ。部屋は崩壊してしまった模様
この他にも、あちこちに大昔の階段が見られました。
浸食や崩壊で、今では登ることは不可能ですが、岩に垂直に刻まれたものが多いです。
スロープが付けられないから垂直なんだろけど登るのに苦労しなかったんですかねえ・・・
上階へ伸びる垂直な足がかり
つま先しか使えなさそうな足がかり
岩が崩れてむき出しになった通路
ただ洞穴を見るだけならカッパドキアにはいくらでもありますが、住居の中の階段を登れるところはここくらいかも。
実際に使われていただけあって、大昔の廃墟とは違った味わいがあります。
ゼルベの手前には有名なパシャバーもあるので、時間がある人は是非見学してみてください。
パシャバーについては次の記事を参考にしてください。
(拍手のコメントにはカテゴリー「拍手へのお返事」でお返事を書いています)
カッパドキアは異様な姿の奇岩で有名ですが、実はもっとすごいものが地下に隠されています。
カッパドキアは昔から何度も侵略者によって攻撃され、支配者が何度も変わりました。
外からの攻撃から身を守るために、住民は奇岩に穴を掘って隠れ家を作り、何かあった時には青の中に隠れていましたが、それは奇岩のある地方だけ。
台地の町々では地下を掘り進み、巨大なシェルターを作り上げました。
最近あちこちで小さい地下都市が発見され、その数は合計200にも及ぶようです。
その中で、観光客に開放されているのはDerinkuyu とKaymakli の地下都市です。
どちらもNevsehir の南方に位置します。
日本のツアーバスは時間の関係か、カイマクルを見学するようですが、規模はデリンクユのほうがはるかに大きく、入場料も同じなので、お時間のある方は是非デリンクユの方を見学してください。
地図は下を参照してください。
クリックするとWikipedia の地図ページに飛びます。
カッパドキア(Wikipediaより)
左の写真は、デリンクユの地下都市博物館にかかっていた、カッパドキア各博物館の料金表です。
博物館の名前はトルコ語だけど、有名なところしか載っていないので、どこの博物館かはすぐわかります。
クリックで拡大して見てください。
ということで、今日はデリンクユの地下都市のご紹介です。
その前に、ギョレメの変事を一つ。
この日は旅行4日目で、3月最後の日でした。
明日からシーズンになるというのに、なんと前日の夜から雪になりました。
なんでも、普通は3月に雪が降るなんてことはありえないそうなのですが、降ってしましました。
手前の黒っぽい所を見ると、雪が映ってるのがよくわかる
デリンクユに行くには、バスに乗ってカッパドキア地方最大の町であるNevsehir (ネブシェヒア)で乗り換えますが、途中の道にも雪が積もってる。
昨夜からの雪が積もる道路
バスはネブシェヒアに入って少しすると、バス停に来ます。
バスの運転手に「デリンクユに行きたい」と言っておけば、間違いありません。
降りるときには、帰りのバスは1時間ごとにあるからと教えてくれました。
ここに1個2リラのドナーケバブ屋があるので、待っている間に食べることもできます。
これがバスの停留所前。見ただけでは全くわからない
1時間ほどバスに揺られると、デリンクユに到着です。
カイマクルは同じバスで30分ほど走ったところにあります。
バスはバスターミナルに到着するので、そばにある教会を左に見ながら、お土産屋のスタンドに沿って真っ直ぐ歩いて行ってください。
そうすると大きな広場に出ますが、その向こう側が博物館です。
料金の15リラを払い、奥の入り口から地下都市世界へ踏み出します。
最初にあるのは狭い階段。
それをズンズンと下に降りて行きます。
階段は果てしなく下へ伸びていますが、その途中に石で作られたドアが何か所か作られていました。丸い石臼状の石が道の横に設置してあり、敵が攻めてきたら石臼で入口を閉めて、地下都市への侵入を防いでいたんだそうです。
この地下都市の最深地は地上から55メートルもあります。
カッパドキアの地形は火山の爆発で降り注いでできた凝灰石でできており、どこまで掘っても柔らかい岩だらけなので、こんな大きな地下都市を掘り上げることができたんですね。
人が一人通れる狭さの階段が延々と続く
丸い石臼を動かせば、地下都市を敵から守ることができた
地下都市には3000人が住める施設があり(5万人という説もある)、住居や倉庫、教会、集会所に家畜小屋まであり、ワイン醸造やオイル製造もしていたようです。
これだけの大規模な都市だったので、いったん地下に潜ると半年ほども地下に住むことが可能だったと言われています。
穀類は粉にして持ち込み、その他の食糧は保存できるように加工しておいたんでしょうね。
当然空気穴もあちこちに伸びており、観光客が地下5階まで下っても息苦しさは全く感じられません。
これが地下都市の空気口。最深地まで通っている。横穴は他の洞窟に続いている
通路のジャンクション
地面にある穴は空気口かな
宗教学校への入り口
下層部にある宗教学校
Youtube にテレビ番組のデリンクユ地下都市特集が出ていたので、ここに持ってきました。
全部見ると結構長いですが、これから行く人には格好の情報源です。
最初のビデオには、カッパドキアの地形がどうして出来上がったかの説明もされています。
カッパドキアは昔から何度も侵略者によって攻撃され、支配者が何度も変わりました。
外からの攻撃から身を守るために、住民は奇岩に穴を掘って隠れ家を作り、何かあった時には青の中に隠れていましたが、それは奇岩のある地方だけ。
台地の町々では地下を掘り進み、巨大なシェルターを作り上げました。
最近あちこちで小さい地下都市が発見され、その数は合計200にも及ぶようです。
その中で、観光客に開放されているのはDerinkuyu とKaymakli の地下都市です。
どちらもNevsehir の南方に位置します。
日本のツアーバスは時間の関係か、カイマクルを見学するようですが、規模はデリンクユのほうがはるかに大きく、入場料も同じなので、お時間のある方は是非デリンクユの方を見学してください。
地図は下を参照してください。
クリックするとWikipedia の地図ページに飛びます。
カッパドキア(Wikipediaより)
左の写真は、デリンクユの地下都市博物館にかかっていた、カッパドキア各博物館の料金表です。
博物館の名前はトルコ語だけど、有名なところしか載っていないので、どこの博物館かはすぐわかります。
クリックで拡大して見てください。
ということで、今日はデリンクユの地下都市のご紹介です。
その前に、ギョレメの変事を一つ。
この日は旅行4日目で、3月最後の日でした。
明日からシーズンになるというのに、なんと前日の夜から雪になりました。
なんでも、普通は3月に雪が降るなんてことはありえないそうなのですが、降ってしましました。
手前の黒っぽい所を見ると、雪が映ってるのがよくわかる
デリンクユに行くには、バスに乗ってカッパドキア地方最大の町であるNevsehir (ネブシェヒア)で乗り換えますが、途中の道にも雪が積もってる。
昨夜からの雪が積もる道路
バスはネブシェヒアに入って少しすると、バス停に来ます。
バスの運転手に「デリンクユに行きたい」と言っておけば、間違いありません。
降りるときには、帰りのバスは1時間ごとにあるからと教えてくれました。
ここに1個2リラのドナーケバブ屋があるので、待っている間に食べることもできます。
これがバスの停留所前。見ただけでは全くわからない
1時間ほどバスに揺られると、デリンクユに到着です。
カイマクルは同じバスで30分ほど走ったところにあります。
バスはバスターミナルに到着するので、そばにある教会を左に見ながら、お土産屋のスタンドに沿って真っ直ぐ歩いて行ってください。
そうすると大きな広場に出ますが、その向こう側が博物館です。
料金の15リラを払い、奥の入り口から地下都市世界へ踏み出します。
最初にあるのは狭い階段。
それをズンズンと下に降りて行きます。
階段は果てしなく下へ伸びていますが、その途中に石で作られたドアが何か所か作られていました。丸い石臼状の石が道の横に設置してあり、敵が攻めてきたら石臼で入口を閉めて、地下都市への侵入を防いでいたんだそうです。
この地下都市の最深地は地上から55メートルもあります。
カッパドキアの地形は火山の爆発で降り注いでできた凝灰石でできており、どこまで掘っても柔らかい岩だらけなので、こんな大きな地下都市を掘り上げることができたんですね。
人が一人通れる狭さの階段が延々と続く
丸い石臼を動かせば、地下都市を敵から守ることができた
地下都市には3000人が住める施設があり(5万人という説もある)、住居や倉庫、教会、集会所に家畜小屋まであり、ワイン醸造やオイル製造もしていたようです。
これだけの大規模な都市だったので、いったん地下に潜ると半年ほども地下に住むことが可能だったと言われています。
穀類は粉にして持ち込み、その他の食糧は保存できるように加工しておいたんでしょうね。
当然空気穴もあちこちに伸びており、観光客が地下5階まで下っても息苦しさは全く感じられません。
これが地下都市の空気口。最深地まで通っている。横穴は他の洞窟に続いている
通路のジャンクション
地面にある穴は空気口かな
宗教学校への入り口
下層部にある宗教学校
Youtube にテレビ番組のデリンクユ地下都市特集が出ていたので、ここに持ってきました。
全部見ると結構長いですが、これから行く人には格好の情報源です。
最初のビデオには、カッパドキアの地形がどうして出来上がったかの説明もされています。
(拍手のコメントにはカテゴリー「拍手へのお返事」でお返事を書いています)
今日は、個人旅行をする人たちのために、ギョレメからのバスの時刻表を紹介します。
と言っても、別にパンフレットがあるわけではなく、各バス会社の前にある時刻表看板を写真に撮っただけです。
インターネットで時刻を調べることも可能ですが、トルコ語しかないサイトもあってなかなかやりにくいので、この時刻表写真は活用できると思います。
まずは、ギョレメのセンターにあるバスターミナルの写真です。
バスの発車時刻になると、たくさんの個人旅行者がこのターミナルに集まります。
私が通りかかった時はちょうど、パムッカレ行きのバスが来ていました。
各地と相当離れているため、バスはほとんどが夜行バスです。
だから、昼間はとっても暇そうです。
右から、Metro、ツアー会社、Süha、Nevsihir、Kentの代理店
バスターミナルの反対側には、ミニバスの停留所があります。
Nevsehir 、Uchisar、 Avanos 方面へそれぞれ1時間ごとくらいで出ています。
詳しい時間はバスの運転手に聞いてください。
写真はNevsehir 行きのミニバス
この日はちょうど、恰好の観光写真モチーフが歩いていました。
こういう風景に会ったのはこの日だけ。
運がよかったみたい。
トルコのガウチョみたいだ
さて、本題の時刻表です。
各社ごとにまとめてあります。写真をクリックすると拡大します。
Metro
Süha
Nevsehir
Kent
毎日1便しかバスがないルートがたくさんあるので、予約は数日前にしておきましょう。
ギョレメに2日しか滞在しない人は、現地到着前に予約しておくほうがいいかもしれません。
特に夏場は混みあうので、ホテルも事前予約のほうが安心です。
と言っても、別にパンフレットがあるわけではなく、各バス会社の前にある時刻表看板を写真に撮っただけです。
インターネットで時刻を調べることも可能ですが、トルコ語しかないサイトもあってなかなかやりにくいので、この時刻表写真は活用できると思います。
まずは、ギョレメのセンターにあるバスターミナルの写真です。
バスの発車時刻になると、たくさんの個人旅行者がこのターミナルに集まります。
私が通りかかった時はちょうど、パムッカレ行きのバスが来ていました。
各地と相当離れているため、バスはほとんどが夜行バスです。
だから、昼間はとっても暇そうです。
右から、Metro、ツアー会社、Süha、Nevsihir、Kentの代理店
バスターミナルの反対側には、ミニバスの停留所があります。
Nevsehir 、Uchisar、 Avanos 方面へそれぞれ1時間ごとくらいで出ています。
詳しい時間はバスの運転手に聞いてください。
写真はNevsehir 行きのミニバス
この日はちょうど、恰好の観光写真モチーフが歩いていました。
こういう風景に会ったのはこの日だけ。
運がよかったみたい。
トルコのガウチョみたいだ
さて、本題の時刻表です。
各社ごとにまとめてあります。写真をクリックすると拡大します。
Metro
Süha
Nevsehir
Kent
毎日1便しかバスがないルートがたくさんあるので、予約は数日前にしておきましょう。
ギョレメに2日しか滞在しない人は、現地到着前に予約しておくほうがいいかもしれません。
特に夏場は混みあうので、ホテルも事前予約のほうが安心です。
(拍手のコメントにはカテゴリー「拍手へのお返事」でお返事を書いています)
また間が開きましたが、旅行記の続きです。
2日目(「ギョレメ国立公園」と「ギョレメ野外博物館」参照)に5時間近く傾斜のきつい岩場を登ったり下ったりしたせいで、翌日は膝が痛んでまともに歩けなくなってしまいました。
よったよったと婆さんスピードでしか歩けないし、歩けば歩くほど膝の痛みは酷くなってくるので、やむなく観光戦線離脱。
ダンナが一人でトレッキングに出かけた後、できるだけ膝に負担を掛けないようにベッドに寝そべってたいたけれど、お腹は空くし、部屋の中にずっといるのも暇なので、少し外に出てみました。
ホテルの前の道を登っていくと、すぐ近くに有名なアナトリアン・ケイブ・ホテルがあります。
高級ホテルで部屋はデラックスなんですが、外から見ると高級なんて全然わからない。
Anatorian cave hotel 外からだと高級ホテルだとは全く分からない
この日は晴天で、どんよりしていた到着日の風景とは全く違って見えます。
同じ道を歩いても、初日に見た景色ちは全然違う雰囲気です。
初日に撮った左の奇岩も、太陽の下で見ると陽気に見える
岩が真っ二つに割れてるけど、それでも下を倉庫か何かに使っている
ギョレメの中心地にある岩には、大昔のテンプルの柱が見える
ギョレメの町のあちこちに奇岩があるので、町の中を歩くのは面白い。でも、町の東側の崖の上には見晴し台があるそうなので、上からギョレメの全体を見るのも面白そうですよ。
崖の上を見ると、時々数人が見晴台に立っていたから、行くのも簡単のようです。
赤丸の中に人が見える
えらく簡素な見晴台
ガイドブックによると、Hotel Legend の後ろの道を行けと書いてあるので、ともかく上へ向かう道を歩いて行きました。Hotel Legend はくねくね道を挟んで下の段と上の段てな具合にホテルが立ってます。このくねくね道をさらに登っていくと、崖の頂上にたどり着きました。
そしたら、道から見晴台が見えたんだけど・・・
岩の上に直に置いただけの鉄板・・・
一応周りに金属ロープが張ってあるけど、どんなけ安全なんだ?と大きな疑問が出てくる、むちゃくちゃ簡易すぎる見晴台で、それも崖っぷちに作ってあるから余計に危なそう。
もともと高所恐怖症なのに、あんな危険きわまる場所に行く勇気なんかぜんっぜんなし。
よくみんな、あんなところに行けるなあ・・・
今のところ膝はなんとか持っているので、頂上の道を歩いてみました。
ここは台地が浸食されて先細りになっている場所で、先細りの先端まで歩いて行くと気球のスタート地点が見えます。逆に反対側に歩いて行くと、頂上の幅がだんだん広くなり、台地と繋がるところまで続いています。
下に空からの写真を用意しました。
クリックすると大きな画像になるので、地形がはっきりと分かります。
これで見晴台の位置が分かりましたよね?
ここからはギョレメの町と、ギョレメ野外博物館方面から北の方面の風景が見渡せます。
下に見晴台からの風景を集めました。
夕方にもう一度ダンナと登ったので、夕陽に映える絶景が見られます。
どれもクリックすると拡大します。
ギョレメから東北へ約10キロほど行くと、有名なローズバレーがあります。
なぜローズバレーかというと、岩の浸食の模様が花びらっぽく、元々赤い地層の岩が、夕方になると夕陽を浴びて真っ赤に見えるからです。
ということで、ギョレメに来たらぜひとも夕方にこの見晴台に登って、夕陽に映える素晴らしい景色を見なけりゃいけません。
ローズバレーだけではなく、全ての岩が神秘的に見えるひとときです。
膝のほうは、やはり下りになると痛みが増してきてしまう。
旅行の初めにやってしまったけど、来たからには観光しなきゃねえ・・・
膝をかばいながらゆっくり歩くように気を付けて、翌日以降もあちこち観光して回りました。
毎日歩くから治りは遅かったけど、それでも2週間ほどで完治しましたよ。
でも、最初の数日はきつかった~
2日目(「ギョレメ国立公園」と「ギョレメ野外博物館」参照)に5時間近く傾斜のきつい岩場を登ったり下ったりしたせいで、翌日は膝が痛んでまともに歩けなくなってしまいました。
よったよったと婆さんスピードでしか歩けないし、歩けば歩くほど膝の痛みは酷くなってくるので、やむなく観光戦線離脱。
ダンナが一人でトレッキングに出かけた後、できるだけ膝に負担を掛けないようにベッドに寝そべってたいたけれど、お腹は空くし、部屋の中にずっといるのも暇なので、少し外に出てみました。
ホテルの前の道を登っていくと、すぐ近くに有名なアナトリアン・ケイブ・ホテルがあります。
高級ホテルで部屋はデラックスなんですが、外から見ると高級なんて全然わからない。
Anatorian cave hotel 外からだと高級ホテルだとは全く分からない
この日は晴天で、どんよりしていた到着日の風景とは全く違って見えます。
同じ道を歩いても、初日に見た景色ちは全然違う雰囲気です。
初日に撮った左の奇岩も、太陽の下で見ると陽気に見える
岩が真っ二つに割れてるけど、それでも下を倉庫か何かに使っている
ギョレメの中心地にある岩には、大昔のテンプルの柱が見える
ギョレメの町のあちこちに奇岩があるので、町の中を歩くのは面白い。でも、町の東側の崖の上には見晴し台があるそうなので、上からギョレメの全体を見るのも面白そうですよ。
崖の上を見ると、時々数人が見晴台に立っていたから、行くのも簡単のようです。
赤丸の中に人が見える
えらく簡素な見晴台
ガイドブックによると、Hotel Legend の後ろの道を行けと書いてあるので、ともかく上へ向かう道を歩いて行きました。Hotel Legend はくねくね道を挟んで下の段と上の段てな具合にホテルが立ってます。このくねくね道をさらに登っていくと、崖の頂上にたどり着きました。
そしたら、道から見晴台が見えたんだけど・・・
岩の上に直に置いただけの鉄板・・・
一応周りに金属ロープが張ってあるけど、どんなけ安全なんだ?と大きな疑問が出てくる、むちゃくちゃ簡易すぎる見晴台で、それも崖っぷちに作ってあるから余計に危なそう。
もともと高所恐怖症なのに、あんな危険きわまる場所に行く勇気なんかぜんっぜんなし。
よくみんな、あんなところに行けるなあ・・・
今のところ膝はなんとか持っているので、頂上の道を歩いてみました。
ここは台地が浸食されて先細りになっている場所で、先細りの先端まで歩いて行くと気球のスタート地点が見えます。逆に反対側に歩いて行くと、頂上の幅がだんだん広くなり、台地と繋がるところまで続いています。
下に空からの写真を用意しました。
クリックすると大きな画像になるので、地形がはっきりと分かります。
これで見晴台の位置が分かりましたよね?
ここからはギョレメの町と、ギョレメ野外博物館方面から北の方面の風景が見渡せます。
下に見晴台からの風景を集めました。
夕方にもう一度ダンナと登ったので、夕陽に映える絶景が見られます。
どれもクリックすると拡大します。
見晴台の下の風景 | 頂上の道は台地の先細りの先端まで行く |
向こうの台地の麓がローズバレー | 2日目に歩いた場所(手前と後ろ) |
ギョレメから東北へ約10キロほど行くと、有名なローズバレーがあります。
なぜローズバレーかというと、岩の浸食の模様が花びらっぽく、元々赤い地層の岩が、夕方になると夕陽を浴びて真っ赤に見えるからです。
ということで、ギョレメに来たらぜひとも夕方にこの見晴台に登って、夕陽に映える素晴らしい景色を見なけりゃいけません。
ローズバレーだけではなく、全ての岩が神秘的に見えるひとときです。
膝のほうは、やはり下りになると痛みが増してきてしまう。
旅行の初めにやってしまったけど、来たからには観光しなきゃねえ・・・
膝をかばいながらゆっくり歩くように気を付けて、翌日以降もあちこち観光して回りました。
毎日歩くから治りは遅かったけど、それでも2週間ほどで完治しましたよ。
でも、最初の数日はきつかった~
(拍手のコメントにはカテゴリー「拍手へのお返事」でお返事を書いています)
今回はカッパドキアではなくて、トルコのお菓子の紹介です。
トルコには何度も旅行しているので、お菓子もトライしていますが、どれもすっごく甘いので、最初にトライしたきり、ずっと食べてません。
でもちょうどトルコ料理がテーマになっているので、ついでに紹介することにしました。
写真はないのですべてWikipedia からの借りものです。
名前をクリックするとWikipedia の各お菓子のページに飛びます。
Baklava (バクラヴァ)
シロップが甘~い、というか甘すぎて・・・
1個が小さいけど、1個食べたらもういらん。
甘党の人なら結構パクパクと食べられるのかも。
Lokum (ロクム)
ゼリー菓子の食感で、これも甘いです。
トルコのスーパーでよくお土産用にも売っているので、買い求めやすいお菓子。
Halva (ハルヴァ)
トルコのハルヴァは固形の練り菓子。下のようなお店なら、切り売りになります。
もちろん甘い。
これもスーパーに小さな箱入りで売っているので、お土産にするのにうってつけ。
他にもお菓子はあるけど、スーパーやお店で頻繁に見かけるのが上の3つ。
ハルヴァとロクムは日持ちもするので、お土産にちょうどいいんじゃないでしょうか?
甘党なら、お茶と一緒に味わえるかも。
トルコには何度も旅行しているので、お菓子もトライしていますが、どれもすっごく甘いので、最初にトライしたきり、ずっと食べてません。
でもちょうどトルコ料理がテーマになっているので、ついでに紹介することにしました。
写真はないのですべてWikipedia からの借りものです。
名前をクリックするとWikipedia の各お菓子のページに飛びます。
Baklava (バクラヴァ)
フィロ生地(トルコ語: Baklava Hamuru)の間に刻んだクルミ、ピスタチオ、ヘーゼルナッツ、アーモンドなどをはさみ、焼き上げてから濃いシロップをかけたもの。(Wikipedia より)
シロップが甘~い、というか甘すぎて・・・
1個が小さいけど、1個食べたらもういらん。
甘党の人なら結構パクパクと食べられるのかも。
Lokum (ロクム)
砂糖にデンプンとナッツ(クルミ、ピスタチオ、アーモンド、ヘーゼルナッツ、ココナッツ)を加えて作る、トルコの菓子。英語ではターキッシュ・ディライト(Turkish delight、「トルコの悦び」)と呼ばれる。(Wikipedia より)
ゼリー菓子の食感で、これも甘いです。
トルコのスーパーでよくお土産用にも売っているので、買い求めやすいお菓子。
Halva (ハルヴァ)
穀物、胡麻、野菜、または果物に油脂と砂糖を加えて作られる菓子。バングラデシュからイランにかけてはプディング状のハルヴァがほとんどだが、それ以西では固形の菓子もハルヴァー(ハルワー)と呼ばれる。(Wikipedia より)
トルコのハルヴァは固形の練り菓子。下のようなお店なら、切り売りになります。
もちろん甘い。
これもスーパーに小さな箱入りで売っているので、お土産にするのにうってつけ。
他にもお菓子はあるけど、スーパーやお店で頻繁に見かけるのが上の3つ。
ハルヴァとロクムは日持ちもするので、お土産にちょうどいいんじゃないでしょうか?
甘党なら、お茶と一緒に味わえるかも。
(拍手のコメントにはカテゴリー「拍手へのお返事」でお返事を書いています)
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